大合唱に送られて

[愛知県 主婦 35歳]

イラスト  葬式は、誰の時でも悲しいものである。それがごく近しい人や、年の順でない場合は、より一層悲しい。まして突然の死は、家族の心の中に空洞を作る。悲しみを通り越して、一種の虚脱状態に陥るものであるということを、私は弟の死で経験した。
 慰めの言葉は耳のそばを通り過ぎて行った。悲しい、悲しいけれど泣けない。事実、ぼんやり座っているわけにもいかなかった。せねばならぬ事務的手続きが多々あったからだ。職場への連絡、弟の大学及び友人への連絡など。私以上に悲しいはずの両親も泣き崩れてはいなかった。通夜・葬儀の手配等々、すべてを淡々と処理して行った。
 読経を聞きながら、私は空っぽの頭で「こんなものだ、葬式というのは」と、ぼんやり考えていた。出棺の時間に照らし合わせて、スケジュール通り進行していくセレモニー。弟やその他の人間の人生模様が、所々織り込まれて行くだけ。私の心は乾いていた。
 出棺の時である。参列者の中ほどから、「今から『若者たち』を歌います。」という声がした。弟の幼なじみだ。「Mくんの大好きだった歌です。ぼくら歌いながらMくんを送ります。」そう言い終ると『若者たち』の歌が始まった。その声の輪は、次第に広がり大合唱となった。伴奏があるわけでもなく決してうまい歌でもなかった。だが、心の奥深くしみ込んで来る何かがあった。いろんな想いが去来した。無性に悔しく、無性に悲しかった。そしてこの歌声は、どんな慰めことばよりも嬉しかった。この歌を聞きながら、私は、弟の愛用していたギターを持って来て棺の中に、そっと置いた。
 もう10年近くになるが、形式的に淡々と進行する葬儀の中で、その時の光景だけは、今なお鮮明に覚えている。
「きみの行く道は、果てしなく遠い…」


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