出棺時の挨拶文例

簡潔なあいさつ例(子)

  本日は大変お忙しいところをわざわざおまいりをいただき、焼香賜りまして、まことにありがとうございました。
  父生前中は何かとお世話になりありがとうございました。これからは兄弟皆仲良くし、母を大切にして立派な家庭を営み、父にも安心して頂きたいと思っております。
  今後とも亡き父同様のご指導ご鞭撻をお願いいたしまして、ごあいさつにかえさせていただきます。

家業の後継者として(子)

  皆様には、大変ご多忙中にもかかわりませず、またお暑い中を、亡き父・青山太郎の葬儀に、かくも多数ご参列下さいましてまことにありがとうございました。私は、長男の一郎でございます。喪主として一言ご挨拶を申し上げます。
  父・太郎は◇◇県◇◇市で青山家の長男として大正○年○月○日に出生致しました。○○商業を卒業後東京に出て丁稚奉公の後、祖父が創立した現在の青山株式会社に入社。昭和30年に同社を引き継ぎまして以来、幾度の変転の後今日に至っております。社業がこれまでに発展できましたのも、ひとえに皆様方のご厚情のおかげと感謝しております。
  72年悔いない生涯を送って、故人も満足し、かつ感謝の念をもってあの世に旅立ったことと存じます。父に成り代わりまして心からお礼申し上げます。今後は残った母を大切にし、家族心を合わせて父の意志を受け継ぎ、社業発展のために身を捧げる覚悟でございます。亡き父同様、ご厚誼のほど切ににお願い申し上げまして、お礼の言葉に代えさせていただきます。
  どうもありがとうございました。

大往生といえる最期(子)

  本日はお忙しいところ、父の葬儀にわざわざ御会葬くださいまして、まことにありがとうございました。
  またご鄭重なご弔意並びにご香志を賜りまして、厚く御礼申しあげます。
  明治生まれの父は、家督をゆずりまして以来20年、悠々自適にすごしておりましたが、昨日明け方○○病院で眠るがごとく88歳の生涯を閉じました。若いときからさまざまな苦労も味わい尽くした生涯ではありましたが、まさに幸せな大往生ともいえる最後であったことは子として何よりの慰めでございました。父の晩年が豊かに過すことが出来ましたのもひとえに皆様方のごご厚情の賜と深く感謝致しております。
  これからは残されたもの力を合わせて父の意志を受けついでゆきたいと思います。これまで同様のご指導とご鞭撻をお願い致しまして、お礼のごあいさつといたします。

お見舞のお礼も兼ねて(子)

  本日はお忙しいところ、また遠路にもかかわりませず、父・青山太郎の葬儀にお運び下さいまして、まことにありがとうございました。
  父生前中はなにかとお世話になり、まことにありがとうございました。又本日は多くの皆様方にお見送りいただき、父もさぞかし喜んでいることと思います。故人になりかわりまして厚くお礼申し上げます。
  父は定年後は町内会の役員などをお引受けして、毎日を楽しく暮らしていましたが、丁度5年前に胃腸を患いまして、以来入退院を繰り返しておりましたが、半年前から寝たっきりとなりまして一昨日家族の見守る中○○病院にて息を引き取りました。78歳でございました。入院中には皆様方から心強いお励ましやお見舞を頂き本当にありがとうございました。
  これからは残された私たち一同、力を合わせて頑張っていく覚悟でございます。父亡きあとも変わることのないご指導、ご厚情を賜りますよう心よリお願い申し上げます。出棺に先立ちまして、一言お礼を申し述べご挨拶に代えさせていただきます。
  本日はどうもありがとうございました。

老妻に苦労させた話(夫)

  本日はご多用のところ、皆様方には亡き妻のために、わざわざご会葬いただきまして、誠にありがとうございました。
  おかげを持ちまして葬儀も滞りなく終えさせて頂きました。皆様方のあたたかいお心に見送られて、妻もきっと喜んで浄土におもむいたことと存じます。生前から色々とお世話をいただきました皆様方に、故人に代わり厚くお礼を申し上げます。
  妻は行年73歳。わがままな私に40年間もよく仕えてくれました。これといった趣味もなく、ただ黙々と働いている姿を思いだしますと、もっと好きなことをさせてやっていたらと、いまさらながら後悔の念がわきあがってまいります。
  おかげさまで娘も孫達も元気でいますが、とりあえず私はよそ様にご迷惑のかからぬよう、妻の位牌を守ってこの家で生活するつもりでございます。どうぞ、これからも変わらぬお付き合いのほどをよろしくお願いいたします。どうも本日はありがとうございました。

在職中に死亡した場合(親族代表)

  皆様本日はご多用中のところ、多数お集まりいただきまして、まことにありがとうございました。
  遺族、親戚を代表いたしまして、一言ご挨拶を申しあげます。私は亡き青山太郎の弟・文次郎でございますが、本来ならば喪主の花子がご挨拶申しあげるべきところですが、いまだ学生の身でございますので、私が代わりましてお礼の言葉を述べさせていただきます。
  故人は○○年に○○株式会社に入社させていただき、定年後も○○株式会社にお世話になっておりましたが、○月○日、心不全のため、他界いたしました。在職中には会社の皆様方には大変お世話になり、本日の葬儀も社長様はじめ社員の皆様方のご懇情によりまして、かくも立派に営むことができましたことを大変有り難く思っております。このように多くの方々に見送られ、あの世とやらへ旅立つことができ、兄もきっと喜んでいると思います。
  これからは我々、親族が何かと力を貸して、子供たちが立派にやってゆけるよう父の志を継いでいけるよう心がけてまいりますが、皆様方には、これからも父太郎在世中とかわることなき、ご厚情を賜りますよう、心からお願い申しあげ、お礼のご挨拶とさせていただきます。
  本日はどうもありがとうございました。

社葬における謝辞(葬儀委員長)

  本日はご多忙のところ、○○工業社社葬にかくも多数ご参列いただき、まことに感謝にたえません。遺族並びに、社員一同になりかわりまして、厚くお礼申し上げます。
  故人山村常次相談役は、一昨年より、◇◇病院にて慎重に療養中でありましたが、薬効かいなく、一昨日、午後7時46分、遺族並びに、当社役員の見守る中で永眠致しました。享年68歳でございます。
  山村相談役は、旧制静岡高等学校より東京大学工学部に学び、××航空機に入社し、一筋に、日本のエンジン技術の開発に尽くしてまいりました。××航空機と××自工が合併し、○○自動車工業となりました時に、若冠40数歳で、取締役技術部長という大役に就任、よく業務をまっとうせられていましたが、当社社長、川村健二社長のたっての望みにより、10年前より、当社、横浜研究室長として来社をいただいたわけでございます。五年間研究室勤務の後、健康上の理由から退職を申し出ておられましたが、せめて相談役として経営に参加してほしいとの意向を快諾せられ、今日に至ったわけでございます。皆さまも故人をよくご存じのごとく、学究エンジニアとして、学界、財界、注目の人であり、その人柄は、温厚篤実で、万人より敬慕されておりました。
  故人の死は、日本の産業技術界にとって一大痛恨事であり、その損失ははかりしれないものがあります。先輩の教えを守り、後進に対してはわが身を忘れて導こうとするその姿は、友人及び僚友の噂のタネでありました。
  五十数歳を過ぎてのちに覚えた囲碁のみが唯一の趣味で、それだけが聞きわけのない子供のように、部下や弟子にしつように勝負をいどまれておりました。
  ああ、思えば、ただ、その悲しみは、筆舌に尽しがたく、この万年学徒でありました山村君のただ安らかに眠られんことを祈るのみであります。
  山村死すとも、彼の遺した日本エンジン界への偉業は不滅で、その名は永遠に刻みつけられ、後進に記憶されるでありましょう。
  はなはだ、とりとめのない挨拶となってしまいましたが、遺族並びに××工業に代わりまして○○社社葬の謝辞と致します。

 

Copyright (C) SEKISE, Inc.

[もどる] [ページの先頭]