1997.04 |
患者よ、「死」と闘うな | 中原英臣他著 KKベストセラー |
「現在のような経済中心の終末期医療は、人命の尊重どころか、むしろ人間の生命に対する冒涜であるとさえ思われる」(23頁) |
素晴しい死を迎えるために | 加賀乙彦編著 太田出版 |
「癌の末期の患者さんになりますと、たとえば絵を描きたい人なら、アトリエで最期まで絵を描いていれば、そこで倒れて死んでもいいとか、1冊本を書けば、ほかはなんにもいらないとか、その人なりのいろんな願望を持っている。信州の山をもう1度訪ねたいとか。そういうときに、そんなことをしたら体力を失って、命を縮めますよというのが、医学的な判断だと思うんです。」柳田邦男との対談(109頁) |
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死と闘う人々に学ぶ | 中島美知子他 医学書院 |
「いくらやってもむだだ。これ以上苦しむのはいやだと言っていたのですが、何でも治療は受けるようになりました。自分の与えられた時間を本当に大切に、1生懸命使おうと思ったらしいんです。ヤケにならずに命と時間を本当に大切にして1直線になっていきました」(99頁) |
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死の看護 | R・ラマートン メジカルフレンド社 |
「人びとが、それぞれどんな違った方法で死を受け入れるに至るかということを知るのは、実に興味深いことである」(216頁) |
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看取りの心得と作法 | 藤腹明子他著 医学書院 |
「私たちは臨床でよく『頑張って!』という声かけをしていないでしょうか?彼がそのとき『これ以上どう頑張れというのか』と反論でもしていたら、こんなにも苦しまなかったかもしれません」(64頁) |
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葬儀概論 | 碑文谷創 表現社 |
「私たちは死者の霊を慰め、あの世での幸せを祈ると同時に、死者と遺された者との間に新たな関係を作り上げることを迫られます。これはこの世の営みを超えるものであるため、しばしば宗教的な儀礼によって行われます。これが葬儀式の中心をなすものです」(11頁) |
お葬式の真実 | 小菅宏 (株)スコラ |
「誰でもいつかは迎える『死』の問題を他人事のように避けていた時代は、もうとっくに過ぎて行ってしまった。現代は、自分の死は当り前のことだが自分の問題だと認識する時代といってもいい」(93頁) |
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ニッポン人のお葬式観 | ライフデザイン研究所 |
「生活者が主体的なターミナルライフプランニングの必要性を自覚する以前に、葬儀という1つのイベントについてだけ数多くの情報やサービスが氾濫し始めると、生活者が混乱してしまう危険性がある」(51頁) |
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自分葬 /新しい葬儀を考える会著 |
ごま書房 |
「300人、500人という会葬者を対象に、自宅で小規模な葬儀をやれば、周辺に迷惑をかけるだけでなく、喪主、遺族の常識も疑われてしまいます。第1、会葬者を接待する場所がなければ、礼を失した葬儀ということになります」(67頁) |
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ザ・葬式 | 小杉哲兵 朝日新聞社 |
「故人の死を悼み、深い悲しみの表現として、弔辞が葬式中に読み上げられることがある。その弔辞と同じ意味合いのものに弔句や弔吟がある」((152頁) |
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葬送の起源 | 大林太良 角川選書 |
「朝鮮では樹上葬は、特定の病気による死者のためにしばしば行われている。たとえば、京畿道では、天然痘で死んだ者は、天命であるから、その死体をただちに埋葬すると、その家にこの病気の患者が続発する。これを避けようとすれば、その死体を天に奉る意味で、3、4日間木につるし、そのあとで埋葬すれば、あとの心配はない」(145頁) |
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墓と葬送の社会史 | 森謙二 講談社現代新書 |
高野山納骨にみられる納骨信仰の形成は、遺骨についての観念の変化を前提としている。つまり、遺骨が1定の場所に納められ、供養されることによって、死者の救済がなされるのである」(64頁) |
ヨーロッパの死者の書 | 竹下節子 ちくま新書 |
「今のカトリック国といっても、政教分離が建前のフランスのような国では、カトリックの人も、日本人の「葬式仏教」と同じで、「葬式カトリック」である人がたくさんいる」(14頁) |
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火葬の文化 | 鯖田豊之 新潮選書 |
「1927(昭和2)年6月、東京の町屋火葬場で重油炉2基が完成し、火葬時間がいちじるしく短縮された。これを契機に昼間の火葬が解禁され、即日拾骨ができるようになった」(37頁) |
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終末期宣言 | 西村文夫 あけび書房 |
「本人の意思を無視した行為は、消極的安楽死であれ、積極的安楽死であれ、認められるべきものではない。しかし、健全で自由な状態で本人の意思が明確にされている時、積極的安楽死は頭から否定されるべきものであろうか」(110頁) |
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死と向かいあう | ペーター・ノル 河出書房新社 |
「人は、死を生から分けてはならないし、病院や老人ホームへ移してはならない。でも、現代社会の制度は、すべてこうした分離を受け入れているどころか、分離を望んでさえいる。分離すれば、制度はもしかして好都合になったかもしれないが、でも希望がないのだ。要するに、便利さが得られただけなのだ」(212頁) |
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上手な死に方 | N・オールバリー編著 2見書房 |
「プラトンは言う。『哲学は死のリハーサルである』日常生活でこうしたリハーサルをしてはならない理由はどこにもない」(135頁) |
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死と悲しみの社会学 | G・ゴーラー著 ヨルダン社 |
「自分の悲しみが否認されるのであれば、なおのこと他者の悲しみは、どれほど容易に否認されることであろうか。喪の悲しみが世間一般で否認されれば、結果として、世間一般がますます冷淡になっていくこともある」(179頁) |
死別からの恢復 | パークス、ワイス著 図書出版社 |
「悲しみは死別に対する心理的反応であるばかりか、死者への義務でもある。ある人は、死者への捧げ物として、あるいは何かの失敗をつぐなおうとして、あるいはまた、死別時に起こってきた積みの意識の償いとして、永い喪に服さなければならないと感じるであろう」(33頁) |
癒された死 | S・レヴァイン ヴォイス |
「ある末期ガン患者は自分を癒そうとするうちに、それまで『元気そうに見せる』すべは学んだが、ほんとうに『元気になる』すべはしらないことに気がついた」(149頁) |
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死後の世界 | 渡辺照宏 岩波新書 |
「埋葬の帰り途に後をむくことは、日本でも外国でも禁忌としてあり、さらにまた悪魔や悪霊や悪神に対するときにも用心せよと広く方々の民族において言われている」(87頁) |
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