1997.04
死と葬儀文献

死や葬儀に関する本はこのところ、大変に多く出版されている。なかには素晴しい本もあるし、そうでもない本もある。しかし書名だけでは内容を把握することは出来ないし、また良いと勧められてもすでに書店の店頭に並んでないので注文しなければ手に入らないのが現状である。そこで、今回は死や葬儀に関する本をスペースに収まるだけ選び、それについて解説をつけるのでなく、そこから印象に残った部分を「名言」として取り出して見た。なおここでは、末期医療、告知、介護、葬儀、民俗、歴史、死の準備、死を考える、悲嘆、死後の世界にジャンル分けをしています。

(なおここに記した書籍が、すでに値段が変更になっていたり、絶版になっていましたらご容赦下さい)

1. 末期医療

患者よ、「死」と闘うな 中原英臣他著 KKベストセラー
「現在のような経済中心の終末期医療は、人命の尊重どころか、むしろ人間の生命に対する冒涜であるとさえ思われる」(23頁)

素晴しい死を迎えるために 加賀乙彦編著 太田出版
「癌の末期の患者さんになりますと、たとえば絵を描きたい人なら、アトリエで最期まで絵を描いていれば、そこで倒れて死んでもいいとか、1冊本を書けば、ほかはなんにもいらないとか、その人なりのいろんな願望を持っている。信州の山をもう1度訪ねたいとか。そういうときに、そんなことをしたら体力を失って、命を縮めますよというのが、医学的な判断だと思うんです。」柳田邦男との対談(109頁)

自分らしく死にたい 佐久総合病院編 小学館
「我われは在宅患者さんが亡くなると、必ずデス・サマリー(死亡者の要約)を作ることにしている。現在、各地域で多種多様な在宅ケア活動が実施されている。その主たる目的は、在宅で安心して療養生活が送れるよう支援することにあるが、同時にやすらかな死を実現することも重要な課題になってきている」(61頁)
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医者が癌にかかったとき 竹中文良 文春文庫
癌の診断がついてから手術までの時間は通常1カ月以内だが、これは表現しようのない重苦しい時間である。僕の場合は3週間あった。はじめ暗くて鬱病に近いと思われた人が、手術を終えて退院も近くなると、目を見張るほど饒舌に変貌することがある」(21頁)
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「死の医学」への序章 柳田邦男 新潮文庫
「もしガン闘病記が悲劇性を強調するだけの目的で、次々に書かれているのだとしたら、どれを読んでも、同じだということになろう。しかし、実際にいろいろな記録を読んでみると、作品としての出来・不出来は別として、それぞれに行き方に関する新しい発見がある」(198頁)
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死にゆく人々に教えられて 亀山美知子 人文書院
「驚いたことに、彼等の話題は葬式の準備から、財産分けの話になり、挙句には葬儀費用のことにまでおよんだ。私は慌てて病人の顔を見た」(109頁)
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ガンから生還する条件 羽生富士男著 講談社
「生きるために選んだ手術が、かえって患者さんの普通の生活を破壊し、しかもガン死を防ぐことができないという結果になってしまうこともあるのです」(71頁)
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病院でつくられる死
/「死」と「死につつあること」の社会学
D・サドナウ せりか書房
「われわれの社会では、10年後に死が予想されている20歳の若者の方が、死ぬまで生きる長さが同じかもしれない75歳の老人よりも関心があることは明らかな事実である」(118頁)
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人間らしい死にかた S・ムーランド 河出書房新社
「個々の患者がどんな様子で死を迎えたかは、彼の組織の衰弱した状態によって決まるようである」(122頁)
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臨死患者
/死をみとる医療のために
R・レーブン 広川書店
「臨死患者との人間関係は患者の病気が重篤にならないうちから育成しておくのが理想的である。医師も牧師も病気の最終段階になって突然現われれば、ふたりとも患者にとってはただの見知らぬ人物にすぎないのであって、そういうやりかたは患者の心の平和をかきみだし破壊することになるにすぎない」(145頁)
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終末期医療
/自分の死をとりもどすために
大井玄 弘文堂
「1888年の山岡鉄舟の死と1988年の伊藤栄樹の死を比較して、最も明瞭な差は、(1)医療技術の進歩、(2)在宅医療から病院医療へ、(3)医療費の増大、にあった」(57頁)
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死と闘う人々に学ぶ 中島美知子他 医学書院
「いくらやってもむだだ。これ以上苦しむのはいやだと言っていたのですが、何でも治療は受けるようになりました。自分の与えられた時間を本当に大切に、1生懸命使おうと思ったらしいんです。ヤケにならずに命と時間を本当に大切にして1直線になっていきました」(99頁)

輝け我が命の日々よ
/ガン宣告された精神科医の1000日
西川喜作 新潮社
「もういい加減にしてくれ。おれはどうなってもいい。診察?ご免だ。これ以上ああだとか、こうだとか検査されたくない。脊椎や足の骨にガンがあったからといって切り取れるものではない。抗ガン剤?2度と考えたくない。痛みがこれ以上強まるなら麻薬でも処方してもらうしかあるまい」(176頁)
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2. 告 知

ガンを告げる瞬間(とき) 内橋克人著 講談社文庫
「患者に対してガンであることを可能な限り隠し通す、それが患者のためになり延命にもつながる、とそう信じられたわが国医療の現場で、それでは自らガンであることを知ってしまった患者には、どんな道が残されていたというのであろうか」(21頁)
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がん告知以後 季羽倭文子 岩波新書

「病状の進行に不安を抱きながら、真実を探りだそうとし、がんではないか、再発したのではないか、病状が進行しているのではないかと、人知れず病人自身が悩んでいるのは、本当につらいことである」(27頁)

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3. 介 護

死の看護 R・ラマートン メジカルフレンド社
「人びとが、それぞれどんな違った方法で死を受け入れるに至るかということを知るのは、実に興味深いことである」(216頁)

あなたの親が倒れたとき 野木裕子 新潮社
「在宅介護は、確かに老人にとって理想の形である。しかしそのために、周囲の人々(家族)が過剰な負担を強いられてはなるまい。過剰な負担がかかれば家族ばかりでなく、老人にとっても家庭は地獄になる」(70頁)
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看取りの心得と作法 藤腹明子他著 医学書院
「私たちは臨床でよく『頑張って!』という声かけをしていないでしょうか?彼がそのとき『これ以上どう頑張れというのか』と反論でもしていたら、こんなにも苦しまなかったかもしれません」(64頁)

やすらかな死
/癌との闘い・在宅の記録
川越厚編 日本基督教団出版局
「最後まで人間の尊厳を保ち、皆に感謝してのすばらしい在宅での死。僕たちもやるだけやったという感じで、充実感が残った」(192頁)
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家庭介護者のためのガイドブック
/よりよい家族介護のために
D・クーパー 中央法規
「長期にわたる介護の費用が払えなくなることは、お年寄りと家族にとって最も辛い問題の1つです」(102頁)
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4. 葬 儀

葬儀概論 碑文谷創 表現社
「私たちは死者の霊を慰め、あの世での幸せを祈ると同時に、死者と遺された者との間に新たな関係を作り上げることを迫られます。これはこの世の営みを超えるものであるため、しばしば宗教的な儀礼によって行われます。これが葬儀式の中心をなすものです」(11頁)

お葬式の真実 小菅宏 (株)スコラ
「誰でもいつかは迎える『死』の問題を他人事のように避けていた時代は、もうとっくに過ぎて行ってしまった。現代は、自分の死は当り前のことだが自分の問題だと認識する時代といってもいい」(93頁)

葬送 ― 時代をきざむ人生コラム 産経新聞社会部 現代教養文庫
「葬儀に出ていてふと、わが身をかえりみることがある。その人の人生が葬儀に映し出されるとしたら、はたしてだれが、どんなふうに送り出してくれるだろう」(まえがき)
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ニッポン人のお葬式観 ライフデザイン研究所
「生活者が主体的なターミナルライフプランニングの必要性を自覚する以前に、葬儀という1つのイベントについてだけ数多くの情報やサービスが氾濫し始めると、生活者が混乱してしまう危険性がある」(51頁)

死の儀礼―葬送習俗の人類学的研究 メトカーフ、ハンティントン著 未来社

「通夜のもうひとつの定まった目的は死体に襲いかかる危害を防ぐことにある。大勢の人びとのざわめきや夜通し燃やし続ける煌々としたかがり火は、邪霊の侵入を妨げる」(115頁)

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世界の葬式 松涛弘道 新潮選書
「家を中心とした祖先崇拝を重視しているかのようにみえる日本人の信仰形態も、時の経過につれて変化してきている。(46頁)
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自分葬
/新しい葬儀を考える会著
ごま書房
「300人、500人という会葬者を対象に、自宅で小規模な葬儀をやれば、周辺に迷惑をかけるだけでなく、喪主、遺族の常識も疑われてしまいます。第1、会葬者を接待する場所がなければ、礼を失した葬儀ということになります」(67頁)

「お葬式」の学び方 碑文谷創 講談社
「極めて自然で個人的な人の死は、社会的な場としての葬儀となると、飾られることを宿命づけられているとも言える。意識しているかいないか、特定個人の意向があるかどうかを別として、葬儀には演出が不可避的につきまとってきた」(218頁)
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超葬儀
/「私流」34人の死への旅立ち
平龍生他 太田出版
「石棺はフォークリフトで土中に納められた。その後、遺体は側面に彫刻をほどこされた総桐の棺桶に入れられたままの状態で、石の柩に移され、安置された」(196頁)
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仏教儀礼辞典 藤井正雄編 東京堂出版
「儀礼中心の形式化された今日の姿の仏教であっても、日本仏教をここまでに日本人のものとしてきた初期の仏教者がそれを受容した庶民の生きざま、死にざまに感銘を与えてきたからこそ、仏教は儀礼を通して日常化したのであった」(はじめに)
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ザ・葬式 小杉哲兵 朝日新聞社
「故人の死を悼み、深い悲しみの表現として、弔辞が葬式中に読み上げられることがある。その弔辞と同じ意味合いのものに弔句や弔吟がある」((152頁)

 

5. 民 俗

日本の葬式 井之口章次 筑摩叢書
「洗骨は、早いところで死後3年目、6、7年目、13年目、という例もあるが、そのころになると、骨以外の部分はぼろぼろになっている」(119頁)
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葬送の起源 大林太良 角川選書
「朝鮮では樹上葬は、特定の病気による死者のためにしばしば行われている。たとえば、京畿道では、天然痘で死んだ者は、天命であるから、その死体をただちに埋葬すると、その家にこの病気の患者が続発する。これを避けようとすれば、その死体を天に奉る意味で、3、4日間木につるし、そのあとで埋葬すれば、あとの心配はない」(145頁)

 

6. 歴 史

死の歴史
/死はどのように受けいれられてきたのか
ミシェル・ヴォヴェル著 創元社
「商売としての死の流通過程は、葬儀会館で終わりではない。葬儀ディレクターはライヴァルである墓地業者に席を譲る。(墓地業者は)さらに集中化されているだけに、さらに強力な、もう1つの圧力団体である。」(113頁)
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墓と葬送の社会史 森謙二 講談社現代新書
高野山納骨にみられる納骨信仰の形成は、遺骨についての観念の変化を前提としている。つまり、遺骨が1定の場所に納められ、供養されることによって、死者の救済がなされるのである」(64頁)

ヨーロッパの死者の書 竹下節子 ちくま新書
「今のカトリック国といっても、政教分離が建前のフランスのような国では、カトリックの人も、日本人の「葬式仏教」と同じで、「葬式カトリック」である人がたくさんいる」(14頁)

死を前にした人間 F・アリエス みすず書房
「19世紀初めに、墓の問題は、都市の外に新しい墓地を作り、遺体を積み重ねるのはやめて、それを併置し、死者に長期にわたる土地占有権を与えるという3つの決定のおかげで、フランスでは最終的に解決されたかに見えた」(481頁)
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火葬の文化 鯖田豊之 新潮選書
「1927(昭和2)年6月、東京の町屋火葬場で重油炉2基が完成し、火葬時間がいちじるしく短縮された。これを契機に昼間の火葬が解禁され、即日拾骨ができるようになった」(37頁)

 

7. 死の準備

素敵な死にじたく
/いつか夫も子供も去っていく…その後の生き方アドバイス
井上治代 KKベストセラーズ
「まず身内の死という精神的な打撃を受けると、他のことなど考える余裕もなくなり、ましてや死後のもろもろの手続きなどに思いいたらない」(53頁)
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臨死のまなざし 立川昭二 新潮文庫
「現代は、死は生物的にも社会的にも1つの『事故』として扱われ、当人の意思や家族のおもいとは無関係に、病院・市役所・葬儀会社・保険会社・税務署・デパートなど、ふだん気がつかない死を司る管理機構が自動的に機能し、それを処理してしまう。そして社会がこのように死を自動的に管理し処理してくれることに、またなんの疑問も感じなくなっている」(246頁)
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死ぬまでになすべきこと
/子供や配偶者はあてになりません
式田和子著 主婦の友社
「中古の家具などを専門店に引きとってもらうときは、ほとんどタダです。持っていてもらうのがありがたいという感覚でないと処分できません」(57頁)
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茂太さんの死への準備 斎藤茂太 二見書房
「三世代同居老人に自殺が多いのはなぜか。おそらく、孤独が源流であろう。多人数で住んでいながら孤独というのはおかしいと思うかもしれないが、家族がいても、いや、いるがゆえに、かえって心理的に孤独をつのらせるというケースも見られるのだ」(147頁)
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自分の死にそなえる 近藤裕  春秋社
「死に対する恐怖の心を抱くのは人間にして、あまりに自然なことである。しかし、その恐怖心ゆえに死に背を向け、死を否認しつづけ、あるいは、死に脅え、おののいた生活を送る人は死にのまれ、死に負けた形で死んでゆくという死に方をする」(46頁)
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お迎えの迎え方 篠田達明 保健同人社
「子や孫も、わたしの死ぬ姿をみて、じぶんたちも、おそらくこのように往生するだろうと納得することができるだろう。親の死をみることで、残された者は生の大切さがわかろうというものだ」(186頁)
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死への準備教育 H・クレーマー他著 読売新聞社
「ハーブの遺体が運び去られ視界から消えてしまうことに耐えられず、私は亡骸(なきがら)を1晩中家に安置し、翌日埋葬するように指示した。どうしてもそうしたかったのだ」(254頁)
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終末期宣言 西村文夫  あけび書房
「本人の意思を無視した行為は、消極的安楽死であれ、積極的安楽死であれ、認められるべきものではない。しかし、健全で自由な状態で本人の意思が明確にされている時、積極的安楽死は頭から否定されるべきものであろうか」(110頁)

 

8. 死を考える

死に方のコツ 高柳和江  飛鳥新書
「死ぬ直前は、意識が低下してしまう。でも、最後まで耳は聞こえる。なんとすばらしいことだろう」(24頁)
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死と向かいあう ペーター・ノル  河出書房新社
「人は、死を生から分けてはならないし、病院や老人ホームへ移してはならない。でも、現代社会の制度は、すべてこうした分離を受け入れているどころか、分離を望んでさえいる。分離すれば、制度はもしかして好都合になったかもしれないが、でも希望がないのだ。要するに、便利さが得られただけなのだ」(212頁)

死ぬ瞬間 キューブラー・ロス著 読売新聞社
「死の恐怖をもつ人が増えたこと、情動問題に悩む人が増えたことは、究極的にはこの社会変化に原因がある。これらの社会変化のゆえにまた、死と死ぬこととの問題を理解し、これに対処することがいっそう必要になってきたのである」(13頁)
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上手な死に方 N・オールバリー編著 2見書房
「プラトンは言う。『哲学は死のリハーサルである』日常生活でこうしたリハーサルをしてはならない理由はどこにもない」(135頁)

死の学び方 D・ハート 法蔵館
「ほとんどの社会において、人はこの世に生まれたからには当然生きる権利を持つ、と考えられているのは周知の通りである。しかし、この世に生まれた者は、生まれた以上当然の権利として、死ぬ権利を持っているのだろうか?」(111頁)
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9. 悲 嘆

喪の途上にて
/大事故遺族の悲哀の研究
野田正彰著 岩波書店
「遺族は死の意味付けの道を見付け、その道程に参与できると思ったとき、故人に向かっていた生のエネルギーを社会に向け直すことができるのである」(248頁)
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死と悲しみの社会学 G・ゴーラー著 ヨルダン社
「自分の悲しみが否認されるのであれば、なおのこと他者の悲しみは、どれほど容易に否認されることであろうか。喪の悲しみが世間一般で否認されれば、結果として、世間一般がますます冷淡になっていくこともある」(179頁)

死別からの恢復 パークス、ワイス著 図書出版社
「悲しみは死別に対する心理的反応であるばかりか、死者への義務でもある。ある人は、死者への捧げ物として、あるいは何かの失敗をつぐなおうとして、あるいはまた、死別時に起こってきた積みの意識の償いとして、永い喪に服さなければならないと感じるであろう」(33頁)

癒された死 S・レヴァイン ヴォイス
「ある末期ガン患者は自分を癒そうとするうちに、それまで『元気そうに見せる』すべは学んだが、ほんとうに『元気になる』すべはしらないことに気がついた」(149頁)

遺された親たち 佐藤光房 あすなろ社
「盛岡では、骨壷を使わずに骨をじかに墓の下に埋めて土に返すのが習慣です。冷たい雨が降って、4月だというのに寒い日でした。いよいよ埋骨というとき、みどりのお骨を墓まで運びながら、お骨を墓の下に流し込みながら、私はほえるように泣きました」(159頁)
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10. 死後の世界

死後の世界 渡辺照宏 岩波新書
「埋葬の帰り途に後をむくことは、日本でも外国でも禁忌としてあり、さらにまた悪魔や悪霊や悪神に対するときにも用心せよと広く方々の民族において言われている」(87頁)

臨死体験(上下) 立花隆 文芸春秋
「臨死体験に入ると、それまで痛みで苦しんでいた人も痛みを全く忘れ、大きな幸福感に包まれる。これは確かに麻薬効果に似ている。しかし、だからといって、それは本当にエンドルフィンの働きによるものと断定してよいのだろうか」(上139頁)
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「他界」論 ― 死生観の比較宗教学 梅原伸太郎 春秋社
「冥府を経て、最初に赴くのが幻想界といわれるところである。死後まもない人は先輩や縁者の霊に引かれてここに案内される。『幻想』といわれるのは、この世界が地上から持ち越された記憶と創造力によって形成されているからである」(222頁)
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生きがいの創造
/生まれ変わりの科学が人生を変える
飯田史彦 PHP研究所
「人間の肉体には、限界があります。したがって、魂の方が永遠でも、かならず、肉体の方は定期的に取り替えなくてはならなくなります。それが、この世でいう『死』ということなのです」(269頁)
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