1997.01
戒名の話

  平成8年2月に亡くなった作家の司馬遼太郎の法名は「遼望院釋浄定」である。遼望が院号で、釋浄定が法名である。彼は浄土真宗に属していたので、この形式をとった。定は本名の福田定一からとった。


はじめ

  日本の葬儀の9割を占めている仏式の葬儀になくてはならないのが戒名。葬儀の祭壇の中央に祭られるものに位牌、そして遺影がある。ただし生花とその贈主の名前の大きさに比べて、故人の戒名はそばに行かないと読めないくらいに小さい。戒名は葬儀のために急いで間に合わせているというのが実情である。
  しかし戒名は出家して僧侶の戒律を守ることを条件につけてもらうのが正式である。かっては俗人であっても生前のうちからつけておいたケースが多かった。ではなぜ生前戒名が行われなくなり、葬儀にはつけるのであろうか。また宗派によって戒名のつけ方が異なるのはどうしてか。そのあたりを見ていきたい。


戒名のルーツ

  出家受戒した者に授けられる戒名は、中国に仏教が伝えられてから定められたといわれている。日本でも中国から仏教が伝えられたため、初めから戒名が取り入れられた。ただしそれは出家剃髪した者に与えられたもので、後に在家でも仏門に帰依したものに、受戒会に参加して戒名を受けることが出来るようになった。北条時頼〔1227〜1263〕は康元元年12月に剃髪し、蘭渓道隆を戒師として、覚了房道崇という戒名を受けている。
  日本の葬儀の形式は、もともと僧侶の葬儀の形式を俗人向けにアレンジしたものである。そこで葬儀の形式は、仏教の教えを実践する者をあの世に送るという形式をとっている。ただし俗人の場合、仏教の教えを実践しているかどうかにかかわらず、葬式というものを行わなければならない。そこで二つの方法が考えられた。一つは、生前に戒名を頂き、その戒名で葬儀を営む形。もう一つは死後に戒名を与え、引導を与えてあの世へ送る形である。
  仏典では、『法華経』に釈尊は弟子の舎利弗(しゃりほつ)尊者に対し、「号を華光如来、ないし仏世尊といわん」といい、法号をさずけている。また釈尊の義母に「一切衆生喜見如来」という法号を授けている。


天皇も戒名を

  奈良時代の僧行基(ぎょうき:668〜749)は、聖武天皇の帰依を受けて大仏造営にあずかり、大僧正位を授けられた。彼は聖武天皇、皇后、中宮を出家させて法弟とし、菩薩戒を受けた。それぞれの戒名は勝満、万福、徳満である。また孝謙天皇も同じく行基より戒を受けて尼となり、その時与えられた戒名が法基である。

 

武田信玄も戒名

  先にのべたように、戒名は出家者だけに与えられたものではない。昔から日本では生前に戒名を授けられると、死んでから戒名を与えられるよりも何倍も縁起がよいとされ、こうした戒名のことを「逆修戒名」と呼んだ。戦国武将などは、いつ自分の命が果てるやも知れないため、俗名を捨て戒名を名乗ることが行われてきた。たとえば、武田信玄は本名武田晴信といい、後に剃髪して「法性院信玄」という戒名を与えられた。この場合、法性院は院号で、戒名は信玄だけを指す。同じく上杉謙信は本名上杉輝虎であったが、のちに剃髪して不識庵謙信とする。この不識庵とは彼が春日山に築いた精舎の名で、ここに戦死した勇士を祭ったという。

 

院号あれこれ

  嵯峨天皇〔786〜842〕の譲位の後、嵯峨院に移り太上天皇と号したが、これが院号の始まりという。つまり院号はもともと戒名とは別個のものであった。江戸中期の有職故実家伊勢貞丈〔1717〜1784〕は、「安斎随筆」のなかで、自分には二字の戒名をいただければよい。長い院号は我らごとき賎しき武士の身として片腹痛いとして辞退し、「高からぬ身にははづかし人なみに 我なきあとの長き名のりは」(自分のように身分の低い者にとっては、私が死んだあとの戒名は人並みの短いものでよい)と歌にしている。

 

百姓院号禁止令

  「徳川禁令考」によると、文化3〔1806〕年、百姓の法名に院号、居士号などが使われていることに対し、どう対処するかというお尋ねに対し、院号、居士号、大姉号などを新規に使うことは許されないが、これまで使用していた分については訂正する必要はないと答えている。
  明治13年7月に、平民にも院殿大居士を使うことが認められるようになる。これまで戒名に院殿又は大居士をつけるのは士分以上の有位の人であったが、これより平民でも国家に勲労があれば許されることとなる。

 

江戸時代の文人にも院号が

  江戸時代の戒名については、寺院墓地に墓が残されており、そこに当時の戒名を偲ぶことが出来る。浮世絵師の英一蝶の法名は英受院一蝶日意(日蓮宗顕乗院)、葛飾北斎は南惣院奇誉北斎信士(誓教寺)、歌川国芳は深修院法山國芳信士(日蓮宗大仙寺)、戯作者の山東京伝は弁誉智海京伝(両国回向院)、式亭三馬は歓誉喜楽奏天信士(深川雲光院)、曲亭馬琴は著作堂隠誉蓑笠居士。膝栗毛の作者十返舎一九は心月院一九光信士である。平賀源内は智見霊雄。狂言作者の鶴屋南北は一心院法念日遍である。これを見ても、庶民階級の間でも院号が広がっていたことがわかる。

 

47の戒名

  戒名は故人の名前の一字を取ることは現在多く行われているが、昔はそうではなかった。元禄15年〔1702〕12月14日夜、江戸本所に吉良義央の首級をあげて主君の仇を討った大石良雄以下46人(討入りの際に脱落した寺坂吉右衛門を除く)の墓は、高輪の曹洞宗の寺泉岳寺にある。彼等の戒名は次の通りである。(浅野、大石を除き年齢順に並べた。ちなみに彼等の平均年齢は38.4歳)

浅野長矩 (34) 冷光院吹毛玄利大居士
大石良雄 (45) 忠誠院刃空浄劔居士
大石主税 (16) 刃上樹劔信士
矢頭右衛門七 (18) 刃擲振劔信士
間新六 (23) 刃横唯劔信士
杉野十平次 (24) 刃可仁劔信士
岡野金右衛門 (24) 刃回逸劔信士
磯貝十左衛門 (25) 刃周求劔信士
赤埴源蔵 (25) 刃広忠劔信士
間瀬孫九郎 (25) 刃火及劔信士
奥田貞右衛門 (26) 刃萩跳劔信士
間十次郎 (26) 刃沢蔵劔信士
大石瀬左衛門 (27) 刃寛徳劔信士
村松三大夫 (27) 刃清元劔信士
小野幸右衛門 (28) 刃風颯劔信士
矢田五郎右衛門 (29) 刃法参劔信士
吉田武右衛門 (29) 刃当掛劔信士
勝田新左衛門 (30) 刃量霞劔信士
大高源五 (31) 刃無一劔信士
富森助右衛門 (33) 刃勇相劔信士
近松勘六 (34) 刃随露劔信士
倉橋伝助 (34) 刃鍛練劔信士
堀部安兵衛 (34) 刃雲輝劔信士
不破数右衛門 (34) 刃観植劔信士
三村治郎左衛門 (35) 刃珊瑚劔信士
潮田又之丞 (36) 刃胸空劔信士
片岡源五右衛門 (37) 刃勘要劔信士
武林唯七 (37) 刃性春劔信士
横川勘平 (37) 刃常水劔信士
茅野和介 (37) 刃卿音劔信士
神崎与五郎 (38) 刃利厳劔信士
岡嶋八十右衛門 (39) 刃袖払劔信士
早水藤左衛門 (40) 刃仲光劔信士
前原伊助 (40) 刃補天劔信士
菅谷半之丞 (44) 刃水流劔信士
木村岡右衛門 (46) 刃道普劔信士
中村勘介 (48) 刃露日劔信士
千馬三郎兵衛 (51) 刃道互劔信士
原宗右衛門 (52) 刃峯山劔信士
貝賀弥左衛門 (54) 刃電石劔信士
奥田孫大夫 (57) 刃察周劔信士
小野寺十内 (61) 刃以串劔信士
間瀬久大夫 (62) 刃誉道劔信士
吉田忠左衛門 (63) 刃仲光劔信士
村松喜兵衛 (63) 刃有梅劔信士
間喜兵衛 (69) 刃泉如劔信士
堀部弥兵衛 (78) 刃毛知劔信士

 

戒名に使われる院号や称号

  各宗派にはそれぞれに特色があるが、基本的な特徴は次のようである。
  道号+戒名(法名)+位号であるが、さらに道号の上に院号が加わる場合がある。
  作家の渋沢龍彦の戒名は「文光院彩雲道龍彦居士」であるが、上から文光院が院号であり、彩雲道が道号、龍彦が法号(これは本名と同じであるから戒名とは言えないかもしれない)、そして居士が位号ということになる。しかし現在では全体を戒名(法名)といい、戒名(法名)の部分を法号と呼ぶことが一般的である。


院号

  院号は天皇が譲位して移り住んだ御所を○○院と名付けたのがはじまりであるが、のちに公家や武将たちも用いるようになった。現在では政治家とか社会的貢献のあった人につけられる。作家の多くはこの院号がつけられている。山本周五郎(恵文院)、川端康成(文鏡院殿)、谷崎潤一郎(安楽寿院)他。


道号

  本名に対するあざ名で、雅号や俳号などが用いられることもある。
  誉号・釋号・日号 誉号は浄土宗の僧侶や信者にもちいられる漢字で、「念仏者は人中の最勝人たる栄誉を担う者とする」という意味をもつ。また釋号は、浄土真宗では法名の上に釈迦の釋の字を用いている。日号は日蓮宗の信者に与えられる漢字で、女性には妙という字をいれる。


位号

  位号は下から信士、信女、次に清信士、清信女、次に禅定門、禅定尼、次に居士、大姉という順になる。それぞれの意味としては、

信士
信女
五つの戒律を守る清信の仏弟子に与えられる称号。
清信士
清信女
信士、信女と同じ意味であるが、清が入ることで位が高くなる。
禅定門
禅定尼
仏門に入って剃髪した者を指し、禅定門士、禅定門尼の略である。これに大の字が冠せられるとその上となる。
居士
大姉
もともと長者の意味があり、信仰心があり宗教活動に貢献する人にささげられる。これに大の字が冠せられると最高位となる。柳田国男、佐藤春夫、川端康成も大居士の位号が与えられている。
童子
童女
剃髪・得度をしていない男女で、法号として用いられる場合には年齢を表わすことが多い。
童子・童女(4、5歳から15歳)、幼子、幼女(3歳から7歳)、孩児(がいし、2歳から3歳まで)を指す。

  


宗祖の戒名と諡号

天台宗

  日本天台宗の開祖最澄(767〜822) は、866年(貞観8)伝教大師と諡(おくりな)を受け、わが国大師号の始りとされる。叡山大師・根本大師・山家大師ともいう。諡号(しごう)とは、生前の行いを尊び死後に贈られる称号を指す。


真言宗

  真言宗の開祖空海(774〜835)は、灌頂号は遍照金剛。諡号は弘法大師。彼は20歳のときに得度して教海と称し、後に如空に改めた。そして12歳のとき、東大寺戒壇院において具足戒を受けて空海と称したのである。


浄土宗

  浄土宗の宗祖法然(1133〜1212) は13歳で比叡山に登り、久安6(1150)年、18歳のとき、西塔の黒谷(くろだに)に隠棲していた慈眼房叡空の弟子となり、法然房源空と名を改める。号が法然房で、源空は諱(いみな)、諡号は菩薩号、国師号、大師号などをのちの天皇より与えられている。

 

浄土真宗

  浄土真宗の開祖、親鸞(1173〜1262)は法然の弟子となり、名を綽空と改めた。法然の念仏停止に連座して、藤井善信と改め越後に流された。この間、愚禿と自称し、名を親鸞と改めた。親鸞の名は中国の僧である天親と曇鸞の名前を取ったものである。


臨済宗

  日本臨済宗の開祖の栄西(1141〜1215) は明庵(みんなん)と号す。


曹洞宗

  日本曹洞(そうとう)宗の開祖道元(1200〜1253)の号は希玄。諡号は承陽大師。


日蓮宗

  日蓮宗の宗祖である日蓮(1222〜1282) は16歳の時剃髪して是聖房蓮長と号した。建長5(1253)年、鎌倉に入った日蓮は父母にそれぞれ、妙日・妙蓮という号を授け、自身も日蓮と名乗ったという。この名前は明かであることは日月にまさるものはなく、清いことでは蓮華にまさるものはないという意味である。日蓮の門下は日昭・日朗・日向・日興・日頂・日持とすべて日という字が使われている。

 

各宗派の戒名

天台宗

  天台宗では4文字が原則で、上が道号であり下が法号となる。さらに道号の上に院号を置き、法号の下に居士、信士などの称号つけることが習わしになっている。
  白木の位牌には戒名の上位に「新円寂」「新帰真」「新没故」とつけ、戒名の下には「霊位」「霊儀」と記す。また梵字1字を加えることがある。この「帰真」という言葉は、この現実世界から、真寂本元の世界(仏国浄土)に帰ったという意味である。また円寂は涅槃(ねはん)の意味で、涅槃の世界に帰ったということになる。


真言宗

  白木の位牌には戒名の上位に「新円寂」、戒名の下には「霊位」とするのは天台宗と同じである。


浄土宗

  白木の位牌の戒名の上に新帰元をつける。○○院の位号は仏教に貢献した人に与えられる。誉号は五重相伝を受けた人に与えられたもの。信士・信女、居士・大姉(だいし)、禅定門・禅定尼は成人男女につけられる。


浄土真宗

  浄土真宗ではよく知られているように、戒名とはいわず法名を用いている。戒名は戒を受けた者に与えられるものであるが、戒を受けない浄土真宗の信者には法名が与えられる。法名の書式は、男子が釋○○または○○院釋○○、女性の場合「釈尼○○」と決められている。信士などの位号は用いない。これは信士、居士は在家信者を指すのであるが、浄土真宗には本来その区別がないからである。


臨済宗

  白木の位牌には戒名の上位に「新帰元」、戒名の下には「霊位」とする。本位牌には、「新帰元」の「新」の文字を取る。


曹洞宗

  白木の位牌には戒名の上位に「新帰源」、戒名の下には「霊位」とする。本位牌には、「新帰源」「霊位」とも取り戒名のみにする。


日蓮宗

  白木の位牌には戒名の上に「新寂」「新帰寂」と、戒名の下には位称として「位」「霊位」をつける。日蓮聖人の「日号」を大事にし、道号では、男子は「法」、女子は「妙」の文字を用いる。日蓮宗は、院号よりも居士(大姉)の位号を重視している。
  ○○□□信士(信女) ○○院法○日□居士 ○○院妙○日□大姉。なお忌明後の本位牌では、戒名の上の「新寂」等を取り「妙法」とする。


葬儀での受戒作法

  葬儀の中で戒名を授ける場合、引導文を唱える場面のなかで語られる。日蓮宗の例では、「いま霊位が生前の行功(ぎょうこう)を考え、法号を授与して○○信士となづく。あおぎ願わくは上来勧請(かんじょう)の仏陀諸尊の、大慈大悲の御手を垂れたもうて、霊位をして確かに寂光の宝土に摂取し引入せしめたまえ」と述べたあと、たいまつで円相を描く。


作家の戒名と墓

  次に明治以降の作家・思想家の戒名を死亡の早い順に並べてみた。

樋口一葉 (〜1896) 作家 智相院釋妙葉信女 築地本願寺 (東京)
福沢諭吉 (〜1901) 思想家 竜徳院宏文有明居士 賢崇寺 (東京)
正岡子規 (〜1902) 歌人 子規居士 大竜寺 (東京)
小泉八雲 (〜1904) 作家 正覚院浄華八雲居士 雑司ケ谷墓地 (東京)
長沢節 (〜1915) 作家 顕節院秀岳義文居士 共同墓地 (茨城)
夏目漱石 (〜1916) 作家 文献院古道漱石居士 雑司ケ谷墓地 (東京)
葛西善蔵 (〜1928) 作家 芸術院善巧酒仙居士 徳増寺 (青森)
若山牧水 (〜1928) 作家 古松院仙誉牧水居士 乗運寺 (静岡)
竹久夢二 (〜1934) 画家 竹久亭夢生楽園居士 雑司ケ谷墓地 (東京)
夢野久作 (〜1936) 作家 悟真院吟園泰道居士 一行寺 (福岡)
泉鏡花 (〜1939) 作家 幽幻院鏡花日彩居士 雑司ケ谷墓地 (東京)
南方熊楠 (〜1941) 作家 智荘厳院鑁覚顕微真居士 高山寺 (和歌山)
島崎藤村 (〜1943) 作家 文樹院静屋藤村居士 地福寺 (神奈川)
中里介山 (〜1944) 作家 修成院文宗介山居士 禅林寺 (東京)
西田幾太郎 (〜1945) 作家 曠然院明道寸心居士 東慶寺 (鎌倉)
岩波茂雄 (〜1946) 書店主 文猷院剛堂宗茂居士 東慶寺 (鎌倉)
織田作之助 (〜1947) 作家 常楽院章誉真道居士 楞厳寺 (大阪)
林芙美子 (〜1951) 作家 純徳院芙蓉清美大姉 万昌院 (東京)
斉藤茂吉 (〜1953) 歌人 赤光院仁誉遊阿暁寂清居士 青山墓地 (東京)
高村光太郎 (〜1956) 詩人 光珠院殿顕誉智照居士 染井霊園 (東京)
高浜虚子 (〜1959) 作家 虚子庵高吟椿寿居士 寿福寺 (鎌倉)
吉川英治 (〜1962) 作家 崇文院殿釋仁英大居士 多磨霊園 (東京)
柳田国男 (〜1962) 作家 永隆院殿顕誉常正明国大居士 春秋苑 (神奈川)
佐藤春夫 (〜1964) 作家 凌霄院殿詞誉紀精春日大居士 無量光寺 (和歌山)
尾崎士郎 (〜1964) 作家 文光院殿士山豪雄居士 春秋苑 (神奈川)
江戸川乱歩 (〜1965) 作家 智勝院幻城乱歩居士 多磨霊園 (東京)
谷崎潤一郎 (〜1965) 作家 安楽寿院功誉文林徳潤居士 法然院 (京都)
山本周五郎 (〜1967) 作家 恵文院周岳文窓居士 鎌倉霊園 (神奈川)
子母沢寛 (〜1968) 作家 慧光院文宗日寛居士 鎌倉霊園 (神奈川)
三島由紀夫 (〜1970) 作家 彰武院文鑑公威居士 多磨霊園 (東京)
西条八十 (〜1970) 作家 詩泉院釋西条八十 八柱霊園 (千葉)
大宅壮一 (〜1970) 評論家 衆生院釋茫壮一 瑞泉寺 (鎌倉)
高橋和巳 (〜1971) 作家 大慧院和嶺雅到居士 冨士霊園 (静岡)
川端康成 (〜1972) 作家 文鏡院殿孤山康成大居士 鎌倉霊園 (神奈川)
山本有三 (〜1974) 作家 山本有三大居士 近竜寺 (栃木)
梶山季之 (〜1975) 作家 文麗院梶葉浄心大居士 瑞泉寺 (鎌倉)
舟橋聖一 (〜1976) 作家 文篤院殿青海秀聖居士 多磨霊園 (東京)
稲垣足穂 (〜1977) 作家 釋虚空 法然院 (京都)
渋沢龍彦 (〜1987) 作家 文光院彩雲道龍彦居士 浄智寺 (鎌倉)
井上 靖 (〜1991) 作家 峯雲院文華法徳日靖居士    
井伏鱒二 (〜1993) 作家 昭観院文寿日慧大居士    

 


  作家の山田風太郎は、「合ったこともない坊さんに戒名をつけてもらおうとは思わないから」といって、自分で戒名を考えたという。「風々院風々風々居士」というそうである。しかし、正式にはこれは戒名ではなく、号にあたるのではないだろうか。

Copyright (C) 1997 SEKISE, Inc.