1996.12
中国古代の葬送儀礼

  中国の長い時代を生き抜いてきた儒教の五経典に『易経』『書経』『詩経』『儀礼』『春秋』がある。そのなかの『儀礼(ぎらい)』は古代中国の官吏階級の通過儀礼である、冠礼、婚礼、喪礼、外交儀礼などを細かく規定したもので、中国の文化の規範としての役割を担ってきた。この『儀礼』は周王朝(前1100頃〜前256)の創始者であった周公が制定したものとされているが、孔子(前551〜前479) が『書経』『詩経』とともに尊重したことで知られており、そのなかの規則が現在でも中国や韓国、日本にすくなからず影響のあとを残していることに注目したい。長い時代を経過した今、何が変化し何が残されたのか。そして残された部分はこれからも長く残るに違いない。
  『儀礼』の「士喪礼篇」は、士の階級にある者が、その両親を葬る際の儀礼を扱っている。
  内容は死者の魂を呼び戻す儀礼にはじまり、埋葬のあとの虞(ぐ)祭、つまり魂を安んずる祭りまでであるが、ここでは埋葬までを取り上げた。


●魂呼び

  人が奥の室で亡くなると、はじめに死者に掛けふとんを掛け、着ていた服を脱がせる。そして小臣が死者の口を開き、歯にさじを噛ませる。またひじかけで両足をはさみ、足が曲がるのを防ぐ。次に干した肉と塩辛と酒を死者の右側に供える。これが終わると堂にカーテンを垂らして室のなかを隠す。
  復者(魂招きをする者)が一人呼ばれ、死者の礼服を左肩にかけて屋根に昇り、屋根の中央に北を向いて立ち、衣服を振りながら死者に呼びかける、「ハーア、某(死者の名)よ、帰り来たれ」
  3度そのようにして招いたあと、庭に向かい衣服を投げ下ろす。それをかごで受けとめ、東の階段から堂に昇って、死者にそれを着せ掛ける。招いた衣服には魂がつつまれており、それを着せれば魂がもとに戻ると考えられていた。この魂呼びの風習はどこにおいても行われたもので、旅館で死ぬと旅館、戦場で死ぬと戦場で矢をもって復を行ったという。
  この招魂の儀式を行なっても死者が生き返らぬことがわかったら、葬送の準備が始められる。
  葬送儀礼の目的は、死者の身体を大切に扱うことと、その魂に仕えることである。歯にさじをかませ足を固定するのは身体を大切に扱うことであり、肉や酒を供えるのは魂に仕えることである。

 

●死亡通知と弔問

  主君への死亡通知は使者を遣わして行う。喪主は西階の下に立って言葉を伝え、使者の出発を見送って辞儀をする。
  主君も又使者を遣わして弔問させる。喪主は使者を館の正門の外で出迎え、門内に案内する。使者は門を入り西の階段から堂に上がり、主君からの言葉を伝えると、喪主は泣いたあと、深いお辞儀をして9度足ふみをする。使者が退出すると、喪主は門まで見送ってお辞儀をする。
  『儀礼』には、現在行われていない二つの作法が登場する。一つは「哭(こく)」と呼ぶ、声を上げて泣く礼であり、一つは足ふみの作法である。泣く作法は、最近まで「泣き女」などの存在がみられたように珍しくないが、足を踏む作法は漢代以後は見られなくなっている。『礼記』には、踊るのは「体を動かして心を落ちつかせ、気持ちを鎮めるため」とあり、また度数を決めるのはそれが過度にならないためとある。つまり儀式によって、抑えられた感情を発散する機会が与えられるが、それが行きすぎないように回数が決められたのである。

 

●死者に衣服を贈る

  主君は使者を遣わして、死者に衣服を贈る習慣がある。そこで遺族側はまず堂のカーテンをかかげ、喪主は寝門の外で使者を迎える。使者は衣服をもって寝門を入り、堂に昇って主君の言葉を伝える。
  喪主はお辞儀をしてその言葉を受ける。次に使者は死者のいる室に入り、死者に衣服を着せかける。そして部屋を出ると、喪主は前のように使者を見送る。喪主は原則として死者のそばを難れず、弔問客があっても挨拶に出なくてもよい。ただし主君の言葉を伝える使者の場合には、出迎えのために室を出る。近親者たちが死者に衣服を贈る場合には、自分で衣服をもって房に入りそれを並べる。

 

●死装束の準備

  死者を埋葬する場合には、特別の衣装が用いられる。下着である明衣裳には、麻布が用いられる。その他、死者の顔をおおう正方形の布巾、頭をくるむ掩(えん)、黒布製の顔面の覆い、手をくるむ黒布、死者の上半身をかぶせる黒色の袋、下半身をかぶせる赤袋が房の中に一列にならべられる。

 

●湯灌(第1日)

  死装束を着る前に死者の体が洗われる。このため、家来は井戸から水を汲み、近侍2人が水で遺体を洗う。(これには喪主は参加しない。)はじめに死者の髪を洗い、櫛を入れ、手拭いで死者の身体を水をつけて清め、浴衣を着せて乾かす。沐浴に使用した水、手拭いと櫛と浴衣は、二つの階段のあいだに掘った穴に捨てる。
  生前と同様に爪を切り、ひげを整える。紐で髪を束ね、そこにかんざしをとめ、明衣裳を着せる。着衣が終わると喪主は室に入り、もとの位置につく。

 

●死者へ食べ物を捧げる

  儀式を司る神主は、死者の顔を布巾でおおい、歯のあいだにかませてあったさじをはずすと、喪主から貝殻を受け取って死者の横に置く。次に貝殻の北側に米をもった器を並べる。
  喪主は左手で米をすくい、死者の口の右側に三さじ入れ、そこに貝がらを一つ入れる。口の左側と中央にも、同じく米と貝がらをつめる。こうして三つの貝がらを入れたあとに、米を口に一杯になるまで詰め込む。口に穀物を含ませるのは、空虚にしておくに忍びないからであるという。

 

●死装束の着衣と依代(よりしろ)

  口に食べ物を含ませたあと、神主は死者の頭を布でくるみ、耳に綿をつめ、布で顔を覆う。そのあと履物をはかせ、ひもを足の甲で結び、そのあまりで二つの履物を結びつける。
  死者にエプロンと帯をつけ、そのあと死者をすっぽりと袋で覆い、その上に掛け布団をかぶせる。
  重(霊の依代)を木材で作り、それに穴をあける。使用人が、依代を庭のまん中に置くと、神主が、死者の口に含ませた米の残りを二つの器に入れ、煮えたあとにふたをし、それを竹の綱でしばり、依代にぶら下げる。このように死者に食べ物を捧げたあと(上図)、死者の名前の書いた旗を依代の所に置く。

 

●小斂(死者を衣服でくるむ)の用意

  斂(れん)は、入柩に先立って死者を衣でぐるぐる巻きにすることである。人が亡くなった翌日に室で小斂(しょうれん)を行い、3日目に堂で大斂(だいれん)を行う。
  死者に食べ物を供える。これを典という。東堂の東下に干し肉と塩からと酒を並べる。これらの供物をおおう麻布をかごに入れて供物の東に置く。水を承ける盆は、手拭いをそえて供物の東に置く。

 

●死者を衣服でくるみ縛ること

  神主が、むしろの上に布団、普段着、祭礼の衣裳を敷くと、士(力仕事に当る家来)6人が堂に昇り、室に入って死者をむしろの上に敷かれた衣服の上に移す。
  そのあと斂(死者を衣服でくるみ絞で縛ること)が終ると、喪主は死者の胸の上に依りすがったあと、数眼りなく足ぶみをする。死者の妻は、死者の胸の上に依りすがったあと、同じように足ぶみをする。再び士が死者を持ち上げ、男や女たちがそれを手で支えて堂の柱の間のすのこの上に運んで置く。そして死者に布団を掛けると、男や女たちは、眼りなく足ぶみをする。これが終わると喪主は堂を降り階段の下に、婦人たちは階段の上で西向きに立つ。
  喪主は、弔問客たちにお辞儀をすると、階段の下で足ぶみをし、肩脱ぎになっていた着物を直し、階段の下に戻る。肩脱ぎになるのは、身なりの変化を表わし、服飾を取り去ることによって哀しみの節度を表わすのである。

 

●死者への供物

  斂の終わった死者に食べ物を捧げる。先頭に酒を持った神主が立ち、酒と干し肉とを持った執事たちが後に続いて堂に昇り、死者の東側に食物を並べる。供え終わると、神主は供物の上に覆いをかける。
  弔問客が退出するとき、喪主は寝門の外まで見送る。そのあと声を絶やさぬようにして、代るがわる泣く礼を行なう。その順序は、親疎の順である。ここまでが、死後2目目の行事である。
  次の日の朝、大斂のための衣服を、房に順番に並べる。そして東堂の下に、大斂のあとの供物を並べて準備する。供物の下に敷くむしろが、並べられた供物の北側に置かれ、大斂のための席がその東側に置かれる。

 

●柩を仮埋葬する

  柩を埋めるための穴を客用の西階段の上に掘る。柩はいったん堂上の穴に埋め、3カ月のもがり(仮埋葬)を行なったのち、墓地へ埋葬される。神主の指揮で、小斂の供物を取り下げる。庭に降ろされた供物は、堂上に置かれていたのと同じように並べられる。最後に酒が並べ終わると、神主と執事たちは東堂の下の大斂の供物が並べられている場所に行く。

 

●大斂

  喪主と近親の男たちは西階から堂に昇り、東側に行って肩脱ぎになる。神主がむしろの上に衣服を重ねて敷くと、士は死者を持ち上げて敷かれた衣服の上に移す。そして斂(死者を衣服でくるみ絞で縛ること)が終ると、堂のカーテンが取り外される。
  喪主は前の小斂のときと同じように、死者の胸に依りすがり泣いたあと、死者の妻も同じようにする。

 

●柩を穴に納めること

  喪主は死者を捧げ持って柩の中に納め、足ぶみをしたあと柩の蓋をする。
  喪主は堂を降り、弔問にきた大夫階級の者たちにお辞儀をする。それが終ると、西階に立って柩を穴におさめる行事を見守る。虫よけの穀物を柩のまわりに置いたあと、柩の上に防火用の木板を載せ、それに泥を塗る。泥を塗り終ると、神主は、依代の所にあった旗を柩をおさめた穴の東側に立てる。

 

●大斂の供物

  もがりしたあとは、朝夕1回ずつ飲食物を供える。朝供えた物は、夕に供える時にいったん庭の上に置かれたと、取り除かれる。
  たいまつを持った者を先頭に、神主はむしろを持った者と堂に昇る。室の隅にむしろを敷き、その右に布巾を置く。神主は堂を降りて、東側に並べられた供物を持つ。士が鼎(かなえ)をかついで門を入り、供物を皿に移し、神主がどぶろくを持って先頭に立ち、堂にあがりお供えをする。

 

●弔問客たちの退出

  弔問客たちが退出して家に戻る。そのとき婦人たちは足踏みをする。喪主は彼等を門の外まで見送ってお辞儀をする。喪主は門を入り、入棺した死者に哭(こく)の礼を行なう。遠い親類の者たちが退出して家に帰る。喪主は彼らを寝門の外まで見送ってお辞儀をする。つづいて近親の者たちが寝門を出る。このとき、代わるがわるやっていた哭(こく)の礼をやめ、みな門の東側に立つ。門が内側から閉ざされる。
  喪主は一同に会釈をし、おのおの死者との関係の親疎に従って、それぞれの服喪の仮小屋に入る。

 

●答礼

  3日目になると、喪主はこれまでの間に合せの衣服を改めて正式の喪服をつけ、杖をつくと、主君のもとに出かけ、弔問の言葉を腸わったお辞儀をする。そのあと他の弔問者たちの所にもまわって挨拶をする。

 

●哭(こく)の礼

  遺族は早朝と宵ごとに哭(こく)の礼を行なう。この礼は毎日行なう。
  婦人たちは、堂の上の定められた位置に並んで哭(こく)の礼を始める。喪主は、西側と南側と東側にならんだ弔問客たちに対して3度ずつお辞儀をし、右にまわって門を入りそのまま哭(こく)の礼を始める。婦人たちは、ふたたび哭(こく)の礼をはじめ、足ぶみをする。
  弔問客たちが退出すると、婦人たちは堂の上で足ぶみをする。喪主は彼らを見送ってお辞儀をする。喪主は弔問客たちにお辞儀をして見送り終ると、近親者たちに会釈する。おのおの、そこで定められた服喪の仮小屋に帰る。

 

●埋葬のための土地を占う。

  墓地をつかさどる家来は、土地を測り墓地として区画し墓穴を掘るが、四周を掘るときに出た土を外側に置き、中央部の土を南側に置く。早朝の哭(こく)の礼がすんだあと、喪主と近親者たちは墓地に出かけ、墓の土を指して占う。占いが終ると占人は、同僚たちと一緒に判断をする。終ると、「占いはよしと出ました」と言う。もし占いの結果が悪かった場合は、別の場所を選んで、同じように占うのである。

 

●椁の準備

  椁(柩の外側をかこむ木組)ができ上がり、死者の柩のある建物の門(寝門)の外に井げたに組んで置かれると、喪主は工人たちの労をねぎらってお辞儀をする。そのあと椁のまわりを点検する。このあと、墓地に出かけて、墓穴の中に椁を組み立てる。墓中におさめる明器(副葬品)の材料を、柩のある建物の門の外に並べ、喪主はそれらを点検したあと哭(こく)の礼を行う。

 

●埋葬日を占う

  埋葬の日時は占いによって決められる。まず占者は亀の甲羅を灼く。そのあと、3人の占者たちが兆の吉凶を判断する。判定がつくと係員は、亀を手に持ったまま、族長と喪主とに占いの結果を報告する。その結果、死者の妻に埋葬日を報告し、妻はそれを聞いて泣く。そのあと、喪主より身分の高い卿や大夫たちに埋葬の日どりが知らせられる。

 

●柩を穴から出す

  いよいよ埋葬のために、柩を穴から運び出される。婦人たちが哭(こく)の礼を終えると、喪主は弔門客たちにお辞儀をして、柩の安置された建物に入り、堂下の定めの位置について肩脱ぎになる。
  神主が、冠をとって肩脱ぎになり、床布を手に持って門から入り、階段のいちばん上で、死者に3度声をかけてその魂を呼び寄せ、「柩を穴からお出しします」と3度告げる。そのあと、一同に哭(こく)の礼を行なうように言う。神主が、昨日の供物を下げて堂を降りると、もう一人の神主が堂に上がる。
  柩が穴から取り出されるとき、喪主たちは数限なく足ぶみをする。神主は麻布で柩をぬぐい、死者のための特別の布団を柩にかける。

 

●柩を宗廟に移し、先祖の霊とまみえさせる

  柩を宗廟に移すために、軸(車のついたベッド)を使う。公用や私用で旅行するときはこの祖廟に報告するが、同じように死者の告別の報告が行われる。宗廟へ行くときの行列の順存は、先頭に依代(よりしろ)を持った者が立ち、次に前日の供物を持った者、明りを待った者、車に乗った柩、燭を持つた者、そして喪主たちが従う。
  行列が宗廟につくと、柩が西階から堂に上げられる。供物を持った者たちは堂の下に並び、柩が据えられるのを待つ。柩のあとに喪主と婦人たちが堂に昇る。近親の男たちは東側の階の下につく。
  柩をベッドに載せ、2本の柱の間に正しく置く。喪主は柩の東側に立ち、依代(よりしろ)は庭の南側に置く。むしろを持った者が堂に昇り、柩の西側に敷く。供物もむしろの前に並べられ、それに布巾を掛ける。
  供物を並べ終ると、喪主は堂を降り、弔問客たちにお辞儀をする。そのあと、階の下の定めの位置について足ぶみをし、着物を着直す。

 

●魂車と馬とを廟に引き入れる

  死者が生前使用していた3台の車を庭に引き入れる。供物が堂から取り下げ、新しい供物を供える。
  喪主が哭(こく)の礼と足ぶみを終えると、馬が門から出される。弔問客たちが退出すると、喪主は廟門の外まで見送る。この3台の車は、柩を載せる柩車とは別で、埋葬のあと死者の魂を乗せて宗廟に帰るために用いられる。
  弔問客を見送って喪主は廟に入り、肩脱ぎになる。そして柩を堂から降ろし、用意された柩車に乗せる。柩を車の前後で縛って固定すると、喪主は着物を着直す。堂上にあった供物を運び降ろし、柩の東側にならべる。

 

●贈物をする際の儀礼

  位の上の者が、喪主に葬儀の料を贈る場合、使者に贈物を託し、主人からの言葉を伝えさせる。贈物の馬を引いた者が門を入り、庭に馬を並べる。そして使者は主人からの言葉を伝える。それに対し喪主はお辞儀で答える。
  用件が終れば、そのまま見送るが、さらに香典をお贈りしたい場合には、使者は門を入りそのことを喪主に告げる。使者は主人からの言葉を伝えると、喪主はお辞儀をする。使者はすわって地面に置かれた器の上に香典を載せる。宰が主人に代わって、香典を取り上げる。
  死者に親しかった者は、墓に死者とともに埋める物を贈り、遺族と親交のある者は葬儀の料として香典を贈る習慣がある。
  喪主側は、葬儀の料として喪主に贈り物をした人の名前とその品物を方(四角い板)に書き付ける。墓中に埋める明器などの品物は、木や竹の札を編んだ竹に書き付ける。これらが終ると、声を絶やさぬようにして交互に哭(こく)の礼を行なう。

 

●埋葬の当日、出柩に先だって供物を供える

  埋葬の当日になると、供物を入れた鼎(かなえ)を五つ廟門の外に並べる。
  会葬者たちが入ってくると、喪主は柩車の東側でお辞儀をする。そして前日の供物を取り上げ、柩車の西北に移す。供物を移し終った者たちは、車の東側に並べてある新しい供物のところに行く。
  鼎が庭にかつぎこまれると、新しい供物のお供えが始まる。

 

●依代(よりしろ)を門外に運び出し、車馬と飲食物と副葬品とを並べる

  依代を東側の壁によせかけて立てる。門の外では3台の魂車に馬を付け、西向きに並べて出発を待つ。
  墓地に向うため、明器や葬具を門外に運び出して行列を作る順序は、先頭に葬具、次に肉をくるんだ飲食物、次に墓に納める副葬品が並び、そのあとに3台の魂車がつく。

 

●贈物と副葬品のリストを読み上げる

  文書係が、贈り物のリストを読み上げると、算木の係が、全体の数を計算する。これが終ると、哭(こく)の礼をつづけるようにとの号令がかかる。史官は副葬品のリストを読み上げると、改めて哭(こく)の礼がつづけられる。

 

●埋葬

  リストが読み上げられると、柩車がいよいよ出発する。表門を出る。この葬列に参加したものは、柩車に結ばれた綱を曳くことになっている。
  柩車が墓穴の前に到着すると、はじめに明器と葬具が基道の東と西の両側に並べられ、墓穴には柩の下に敷くシートが入れられる。ついで柩には墓に降すための綱が付けられる。ゆっくりと柩を墓穴に降すと、喪主たちは泣いて数眼りなく足踏みをする。
  喪主は、再び着物を整え、黒と赤の絹5匹を死者に贈る。それが終ると、喪主は肩脱きになり、会葬者たちの前に行ってお辞儀をする。死者の妻も、女の会葬者たちにお辞儀をする。再びもとの墓道を爽んだ位置に戻り、まず喪主が、次に婦人たちが、最後に会葬者たちが、おのおの3度ずつ足ぶみをする。終ると喪主は着物をつける。会葬者のなかでここで帰る者があると、喪主はそれを見送ってお辞儀をする。
  副葬品を柩のそばに納め、柩と副葬品の上に布製のおおいをかける。またかごに入れた飲食物を入れる。
  皆が3度ずつ土をかけおわると、喪主は隣近所の人たちに対して、葬儀の手伝いをしてくれたことに感謝してお辞儀をする。こうして葬儀から埋葬までが終了する。

 

○葬儀の意味

  『荀子』礼論篇に、葬儀の意味について述べてある。
  喪礼とは、死者に対し生者のように仕えるという意味をはっきりと知り、哀戚と恭敬の情を尽くして送葬し、手おちなく埋葬すること以外にない。だから埋葬とは、その形体を敬み葬ることであり、祭祀とは、その神霊に敬み仕えることであり、その銘(死者の名を書いた旗)と誄(るい=人の死を悼んで生前の徳などを追慕して述べる詞)と繋世とは、その名前を敬って後世に伝えることである。生きている人に仕える礼は始めを飾り、死んだ人を送る礼は、終わりを飾る。」(竹岡八雄他訳)

 

資料:

「儀礼」小南一郎訳/筑摩書房
中国古典文学体系3「論語・孟子・荀子・礼記」/平凡社他

 

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