1988.08
災害と死

  7月23日午後3時38分、横須賀港沖で、海上自衛隊の潜水艦と、釣り船「第一富士丸」が正面衝突するという事故が発生しました。この事故で釣り船は約1分後に沈没、死者30人の大惨事となりました。絶好の航海日和の事故だけに原因究明が急がれています。また夏には毎年のように、水の事故が多く記録されています。昭和60年の統計では、不慮の事故および有害作用によって死亡した人の数は、全国で約3万人といいます。これは死因順位からみると第5番目に位置します。ちなみに4位は肺炎および気管支炎で約5万1千人人、6位は老衰で約2万8千人です。ベトナム戦争でアメリカ陸軍の兵士の死亡数が3万人といいますから、この数の大きさがわかります。今回の特集では、今日ガンと同じように身近な問題である、災害や事故による死亡について考えてみたいと思います。


不慮の事故の約半数が自動車事故

  不慮の事故および天災などによる死亡の種類は様々ですが、そのなかでも自動車事故が12,660人と最も多く、42.8%を占めています。次いで墜落(4,006人)、溺死(3,196人)、食べ物による窒息(2,597人)などとなっています。この数字は年令によって割合が変わってきます。特に顕著な例では、乳児の場合窒息による死亡が最も高く、1才から4才までの幼児は溺死が最も高くなっています。15才から29才の青年では、自動車事故が75%を占めています。65才以上になりますと、自動車事故が1番で29.2%、ついで墜落が22.4%といいます。この墜落は、その半数が階段などでの転倒によるものといわれます。


交通事故死数は1時間に1人

  交通事故死数は、昭和45年の死者数16,765人を最高として減少を続け、54年には約半数(8,466人)に減りました。しかしその後再び増大を見せ、57年から6年連続して9千人を突破しています。昭和62年の交通交通事故による死亡数は9,347人で、交通事故は1分間に1件、死亡は1時間に1人という割合です。死亡事故を地域的に見てみますと、北海道の471人をはじめとして、愛知県(456人)、神奈川県(454人)、千葉県(452人)の順となっています。

 

交通事故死数もすごいアメリカ

  世界の交通事故死の統計を見てみますと、1985年の時点でアメリカでの事故死数は43,795人、死亡率では人口10万人当たり18.3人という比率です。これは日本の10万人当たり10.5人に比較して高い数字となっています。以下フランスの10,448人、西ドイツ8,400人、イタリア7,130人です。

 

20才代の女性の74%が保有

  昭和62年21月現在の運転免許保有者数は、5,572万人を記録し、運転免許適齢人口の1.75人に1人が保有している割合になります。特に女性の伸びが著しく、20才代の女性の保有率は74%に達しています。なお自動車の全国保有台数と自動車事故との関係を見ますと、昭和35年の時点で保有台数は340万台、15年後の昭和50年では2,900万台、さらに10年後の昭和60年には10年前の2倍の4,800万台の保有台数を数えることができます。これに対し死亡者数は13,429人、14,206人、12,660人と、殆ど増えていないという結果が出ています。
  ちなみに85年のアメリカでの死亡事故を州別にみてみますと、1番がカリフォルニア州で4,933人、次にテキサス州の3,682人、第3番目はフロリダ州の2,866人、この3州の合計11,481人で、同時期の日本の死亡者数9,261人を上回っています。なおハワイ州は126人です。

 

死亡の場合の賠償額

  交通事故で被害者が死亡した場合の賠償額は、次のような計算をします。まず治療費として、死亡に至までの全額です。次に葬儀費とし50万から70万円。実際の費用ではなく、加害者の負担する部分として、定型的に処理されます。これに法事、墓石の費用なども含まれます。
  欠に慰謝料として一家の中心の場合1,500万から1,700万円、幼児や高齢者では800万から1,200万円です。
  さらに本来なら得られる収入を、代わりに支払うという、逸失利益があります。この算定方法は、事故前の収入から、生活費用を控除し、就労可能年数(高齢者は平均余命)を掛けて、それまでの利息をホフマン・ライプニッツなどの係数を掛けて控除します。例えば被害者が30才で、年収が300万円の場合には、(300万円(年収)x0.5(生活費)x20.625(67才までのホフマン係数)。

(資料、『事故を起こした人の責任の取り方』自由国民社、昭和56年)

 

記録に残る二つの航空事故

  航空機事故でも特に、大型の民間航空機の場合には、1回の事故での死亡者数が多いことが特徴です。3年前の1985年8月12日に起きた、日航のジャンボ機墜落事故の場合には、1回の事故で搭乗していた524人のうち520人が死亡するという大惨事となりました。国内だけを見てみますと、この年には全部で41件の航空機事故がありましたが、その死者のトータルは530人という数字になっています。つまり残りの40件の航空機事故の死者の合計が10名ということになります。ちなみにその前年では、事故発生件数は32件で、死者の合計数は同じ10名となっています。
  なおおよそ10年前、スペイン領カナリア諸島でおきた、パンアメリカン航空とKLMオランダ航空のジャンボ機同士の衝突では、イースター休暇を楽しんでいた575人が一瞬にして死亡。航空史上最悪の事故であるといわれています。

 

問題をかかえる賠償額

航空機事故でいつも問題峰なるのは遺体引取り、そして残された遺族の補償問題です。国際線を運行する事故によって発生した損害賠償については、モントリオール条約で、旅客の死亡については1人当たり75,000ドルと決められ、これが先進日の標準となりました。その後、81年に日本航空と英国航空は10万ドル(特別引出権)に引き上げました。しかし、海外の航空会社にモントリオール条約に加盟していない国も多いので、賠償問題で論議をよんでいます。
  従来、日本の国 内線では死者1人当たり1,300万円、手荷物1人当たり15万円でしたが、82年4月以来、旅客に対する限度額は撤廃されています。
  1983年9月にサハリン沖で起こった大韓航空撃墜事件では、この事件で犠牲になった日本人乗客の遺族のうち、6家族15人が大韓航空を相手取って計9億1000万円余りの賠償を求める裁判を起こしました。
  85年8月の日航機事故については、同年10月に、賠償の対象となる400家族のうち、約40家族と日航との間で交渉が始まり、平均1人当たり5,000万円ないし6,000万円程度の金額が提示されたとみられています。

 

ジエツト機火災から生き残る法

  昭和58年6月、アメリカのダラス空港からカナダのトロントに向けて飛行中のDC9が、客室後部のトイレ付近から出火し、近くのシンシナティ空港に緊急着陸した事件が起きました。柳田邦男の『フェイズ3の眼』によると着陸後、全方ドアと主翼上の脱出口が開けられ、乗客が誘導されましたが、結局この事故で乗客の46人中、23人が脱出田釆ず死亡したそうです。この事故の調査官によると生存乗客はすべて、漏らしたタオルかチョッキかティシュペーパーを顔にあてて、煙を吸い込むのを防いだり、顔を両足の間に挟むようにしてできるだけ低い位置に下げていた。死者がどういう行動をしていたかは、明らかでない」と発言しています。

 

10年で半減した鉄道事故

  鉄道事故で思い出されるものに、昭和37年に常盤線三河島で起きた列車二重衝突事故(死者160人)、翌年東海道本線の鶴見〜新子安間で起きた列車二重衝突事故(死者161人)があります。
  鉄道での運転事故は昭和52年には3,141件でしたが、10年後の昭和62年には152件と約2分の1に減少しています。それにともない死亡者数も、782人から409人にと減少しています。鉄道事故の内容を種類別は見てみますと、踏切りでの事故が613%と過半数を越えており、飛び込み等による人身傷害が24%、脱線などによる列車事故が2.9%となっています。

 


ほほ横ばいの海での死亡者数

  四方を海に囲まれている日本では、海難事故も毎年そのニュースが絶えることはありません。海上保安庁の調べでは、海難による死亡者数は昭和55年で1,343人、翌56年は1,307人、5年後の昭和61年では1,520人となっています。最も大きな海難事故では、昭和29年9月に起きた、青函連絡船洞爺丸の転覆でしょう。このとき死者255人を出しています。
  近代で最も有名な海難事故といえば、映画にもなったタイタニック号の沈没でしょう。タイタニック号はイギリスの豪華客船でニューヨークへ向かう処女航海の途中、1,912年4月14日、ニューファンドラド沖で氷山に衝突、約3時間後い沈没して2,201人の乗客のうち1,490人が死亡した事件です。
  事件後の調査によって、救命設備の不備などが指摘され、この事故が契機となって翌年ロンドンで、国際海上人命安全会議が開催されました。1929年には、海上における人命の安全のための国際条約が締結されました。
  日本での救助を求める船舶の発生数は、年間おおむね2,100から2,600隻の間で、そのうち乗上げ、衝突、機関故障の3つが海難隻数の5割以上を占めているといいます。
  毎年、夏になりますと水の事故が、若い命を奪い去っていきます。昨年ではトライアスロンに参加中の選手十数人が、台風5号の接近による高波にさらわれ、1人が死亡、救助に当たっていた人も海に投げ出されて行方不明になったという事故がありました。こうした水難事故で死亡あるいは行方不明になった人の数は、警察庁の調べでは、昭和58年が227人、59年が1,937人、60年が2,004人、61年が1,775人となっています。年齢別ではこの4年間の平均で、18才以上が69.6%、幼児が15%、小学生が8.4%、中高校生が合わせて7%という数字が出ています。

 

山には山の憂いあり

  毎年100人以上の死者、行方不明を出している災害に、山の遭難事故があります。1984年には植村直己さんが北アメリカの最高峰マッキンリー(標高6,194m)で遭難したのは記憶に新しいところです。遭難の3大原因といわれるものに岩壁墜落、雪崩、疲労があり、冬期の遭難は、雪崩と吹雪が圧倒的で、夏山の場合には、雪渓からの滑落が、岩場からの墜落が殆どといわれています。

 

1日当たり27人が死傷

  火災による死亡者数は、年間1,500から2,100人という数字を行き来しています。「火災自書」によりますと、86年の火災による死者は2,061人で、前年に比べて314人増え、戦後3番目のワースト記録をつくりました。特に放火による自殺者が前年に対し146人増えて804人と、戦後最高の数字を示しました。また死者の半数以上(54.9%)が、61才以上の高齢者、5才以下の乳幼児などの「災害弱者」が占めていることも特徴的です。特に昨年では6月に、特別養護老人ホームコ松寿園」の2階から出火、寝たきりのお年寄りなど17人が焼死、13人が重軽傷を負った火災が印象に残ります。

 

忘れた頃に来る?

  死者99,331人、行方不明43,476人を出した関東大震災が起きたのは、65年前の大正12年9月1日のことです。それから国内で起きた地震の主なものを拾ってみると、昭和18年死者1,083人を出した鳥取地震。昭和23年死者3,769人を出した福井地震、最近では昭和58年、秋田沖でM7.7の地震が起き、これに伴う津波が発生し、遠足に来ていた小学生13人ほか、死者、行方不明104人を出した日本海中部地震がありました。
  全世界的に見てみますと、1931年から1980年までの50年間にマグニチュード7以上の地震は490回、そのうち日本は14%の68回であるという記録があります。最近の大きな地震を拾ってみますと、1980年イタリア南部でM6.8の直下型の地震、これによる死者、行方不明者は約4,500人。85年9月にはM8.1の大地震がメキシコ南西部に発生。この地震による死者は約8千人に達するといわれています。東京都防災会議が、昭和44年に予測計算したところ、東京で冬の夕食時に関東大震災クラスの地震が起きたら、死者の数は56万人であると発表がなされました。したがって、この65年間で、死亡者数が約4倍近くになる可能性があるということです。ちなみほ昭和62年の総死亡者数は75万1千人でした。

 

台風上陸は年平均3回

  戦後1千人以上の死者、行方不明者を出した台風は枕崎台風(昭和20年)3,756人、カスリーン台風(昭和22年)1,529人、洞爺丸台風(昭和29年)1,698人、狩野川台風(昭和33年)257人、伊勢湾台風(昭和34年)5,101人の5つがあります。日本に上陸した台風の数は昭和26年から昭和55年までの30年間の平均で見てみますと、年3回であることが分かります。そのうち8月と9月に平均して1回ずつ上陸しています。
  昨年は10月17日に台風19号が高知、室戸市付近に上陸、この台風で鳥取4人、香川3人、愛知、高知で各1人の死者が出ました。

 

猛暑はもういや

  昨年7月24日は、東京で37.3度と7月では観測史上2番日の熱さを記録しました。この熱さは世界中の傾向で、ギリシャでは昨年8月は10日間程続いた熱波で、1千人以上の老人が亡くなったそうです。原因の一つには病院にクーラーが完備していなかったからだといわれています。ピラェウスという港町では遺体収容所に棺が入り切れず、広場に積まれたそうです。この熱さは今年も続き、ギリシャのアテネでは7月6、7、8日の3日間で少なくとも15人が死亡し、その殆とが老人で、呼吸器の障害を併発したケースといわれています。

 


その後の配慮

  災害の発生には様々な問題が伴います。特に遺族に対する補償問題や心の癒しなど、難しい問題がたくさん残されています。補償問題は法律に照らして解決していきますが、そこから感情的なものを切り放して考えるわけにはいきません。
  1942年、ボストンのナイトクラブ「ココナッツ・グローブ」で約500人の犠牲者を出した火災がありました。この惨事の被災害者や遺族の心理をリンデマンという医師が調査しました。これらの研究に共通して見られることは、初期反応である精神的ショックに続いて、運動能力の減退、感情の鈍麻、臆病、抑制反応などがあります。こうした人々に対する治療は、話し合い、及び浄化作用などの精神療法を何か月にも渡って続けられることがあります。いずれにしましても、危機的な精神状態からの脱却には、専門家の忠告だけでなく、回りにいる人々の暖かい理解が必要でしょう。

 

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