1988.07
尊厳死を知る

  現代は高齢化社会に伴って様々な問題が身近な話題としてクローズアップされてきています。ガンの告知、脳死、そして尊厳死の問題。これらはどれも新聞に載ったニュースから、自分の身の回りの避けて通れない問題になりつつあります。現在では寝たきりの80代の両親を、60代の夫婦が何年も看病するという話や、ガス中毒によって植物状態に陥り、治る見込みのないまま何年間も、生命を維持させられている患者の例は珍しくなくなっています。そしてそこから必然的に起こってくる問題が、「尊厳死」です。このテーマは、医学、宗教、倫理、法律などの立場からばかりではなく、実際に経済及び、心身的問題を抱えている人たちの立場からも、総合的に取り扱わなければならない問題です。今回のデスウォッテング」では、今日の「尊厳死」の問題を、どのように理解していったらよいかを、そのアウトラインを見ていきたいと思います。


非人格生命の増加

  医学はヒポクラテス以来、尊重と延命を至上命令としてきました。しかし社会福祉制度の充実と医学の進歩にともない、恍惚老人や意識のない植物人間として、生存を強いられる結果ともなっています。人は長生きはしたいと思うが、恍惚老人として、あるいは植物人間として生きていたいと思わない。ここに「尊厳死」にたいする考えの土壌があります。

 

2種類ある安楽死

  安楽死とはギリシャ語のエウタナーシャの訳で、「良い死」という意味です。古代ギリシャ・ローマの考えでは、人は理性的な存在であり、無意味と思われる生にたいしては、自殺によって命を絶ったり、他人がそれを助けたりすることは珍しいことではなかったといいます。しかしキリスト教の影響が強くなってくると、自殺などによる人為的な生命短縮は厳しく戒められるようになってまいりました。生命の回復の見込みのない患者を看取る家族にとって、耐え難い苦しみにさいなまれて苦痛を訴える家族の顔を見ることは、しのびないものがあります。まだ治る見込みのある痛みは仕方がありません。しかし治る見込のない者にとって、その痛みは一体どんな意味があるのか、どんな人も疑問をもつと思います。こうした痛み、苦しみを和らげる意味での安楽死を厭苦死的安楽死とよんでいます。
  また安楽死には積極的なものと、消極的なものがあります。消極的安楽死の場合、医学の力によって場合によっては1日、1週間と命を伸ばすことができるが、それをしても患者が苦しむだけであることなどの理由から、死への進行を留めたり、遅らせたりする処置をしないことを消極的安楽死と呼ぶことができます。この例としてホスピスがあげられます。ホスピスでは、末期患者の精神的および肉体的苦痛を取り除くことに努力をかたむけますが、あえて生命の延長に心掛けません。
  これにたいし積極的安楽死というものは、生命を維持する努力をするのではなく、苦しみを和らげるために多量のモルヒネを射って、積極的に死に至らせる行為を指します。また心臓のマッサージや、人工心肺、電気ショック、薬によって死者を生き返らせることが出来る時代に「死」は何を意味するのかと問いかける人もいます。手術中は心臓や呼吸の停止した場合にも、手術の熟練者はそれを生き返らせることができます。したがって心臓や呼吸の停止以上に信頼性の高い死の判定基準として「脳死」がクローズアップされてきたのも、理由があることなのです。

 

カレン裁判から12年

  1975年9月、アメリカのニユージャージー州で、治る見込のない脳損傷を受けた22才の女性の父親が、娘の生命維持装置を取るように請願しました。翌年3月の最高裁判所の判決で法廷は次のように述べました。
「いかなる州の力をもってしても、知覚及び識別能力のある人生に戻る現実的可能性を持たない。耐え難い、しかも数カ月にも及ぶ植物状態を耐えることをカレン嬢に強いることはできない」として条件付きでその主張を認めました。判決理由のなかでヒューズ裁判長は、人命尊重の大原則よりも、個人のプライバシー尊重と死を選ぶ権利の方が優先されるべきだと述べ、生死の選択は、法律的後見人の父親が医師と相談のうえで、本人に代って判断することができると述べました。
  安楽死を肯定する5つの条件刑法の立場から出されている安楽死の基準があります。それは先ず第1に、患者の死期が迫ってきているということが上げられます。第2は肉体的に激しい痛みを訴えている。第3には本人が死を望んでいること。第4にはこの処置が医師の手によってなされること。第5には実施に当って、苦痛を与えないこと。この5つの要件のもとでの安楽死なら、正当防衛と同じように適法視されます。
  安楽死が日本で問題になったのは昭和37年12月、名古屋高等裁判所での嘱託殺人裁判です。愛知県に住む当時24才の青年が、脳溢血で全身不随となって苦しむ父親を、毒入りの牛乳を飲ませて死なせた事件です。第一審の尊属殺人に対し第二審の判決はこの行為を安楽死とは認めなかったものの「現代の医学の知識と技術からみて不治の病に侵され、しかもその死が目前に迫っていること」などの条件が満たされれば、安楽死も認めうるとの判決でした。

 

生き続ける心臓

  死の判定の問題は、心臓などの臓器移植問題から、大きな問題として取り上げられるようになりました。心臓の拍動が止まっても、延命や蘇生術が進歩した現在では、それだけでは死を意味しません。従来の常識では心臓の死があってから脳の死がありました。しかし今日の医学ではこの問題が逆になり、脳の死があって心臓の死があることになります。
  従って今日の死の判定は、脳死が一つの判断基準となっています。脳の死は段階的に起こり、まず皮膚に始まり、次いで中脳、そして脳幹です。細胞の死はそれに続き、器官や組織はやや長く生き続けます。臓器移植が可能なのは、この死の順番があるからですが、これが死がいつなのか、そしてどこで決定するのかという問題を生んでいるのです。

 

安楽死の伝統

  プラトンの『ハイドン』のなかに毒人参を飲み干す、ソクラテスの描写があります。古代ギリシャ・ローマの伝統では、死は自然の営みという考え方を見て取ることができます。エピクテトスは「部屋が煙たくても少しならばそこにいられるが、もっと煙が多くなれば、私は部屋から出ていく。ドアはいつも開いているのだから」と安楽死をほのめかせています。プリニウスは「神の贈物として一番良いと判断されるときに、人には死ぬ権利が持たれる」と肯定しているのにたいして、これに反対したのは医学の父であるヒッポクラテスとユダヤ、キリスト教の戒律でした。
  ルネッサンス期になって、トマス・モアは『ユートピア』に「不治の病に悩んでいるものがあれば、その人の枕元に座って色々な話をしてやるなど、あらゆる親切を尽くしてその心を慰めてやる。しかしもしその病気が永久に不治であるばかりでなく、絶え間のない猛烈な苦しみを伴うものであれば、司祭と役人とは相談のうえ、この病人に向かって、これ以上生きていても人間としての義務が果せるわけではないし、いたずらに生き恥をさらすことは、他人に対して大きな負担を掛けるばかりではなく、自分自身にとっても苦痛に違いない、だからいっそのこと思い切ってこの苦しい病気と縁を切ったらどうかと勧める」
  こうした非常に合理的な考え方を示しています。安楽死の是非をめぐる議論は、ヨーロッパでは1936年以来続いています。この年、イギリスの著名人グループが「任意安楽死協会」の第1回会合を開催、慈悲殺を合法化する法案が、上院に提出されました。この協会の支持者のなかにはジュリアン・ハックスレイ、H・G・ウエルズ、バーナード・ショウなどの有名人がいました。このときは35対14で否定されましたが、翌年イギリスの世論研究所が行った、末期患者に対する政府監督下における慈悲死について調査結果では、3分の2が安楽死の原則に支持したといいます。協会は1978年に入ると、実際的な助言と情報を、小さな本にまとめると公表した途端、79年までは、2千人だった会員数が、80年には2万人に増大しました。

 

いかに威厳をもって死ぬか

  『いかに威厳をもって死ぬか』これはスコットランドの安楽死協会が発行したガイドブックの書名です。この本には、注意書きがついており、協会への加入期間が3か月以上の会員もしくは「自己解放」についての情報を広める行為が、法律によって禁じられていない国の会員にしか配布されませんと断わってあります。また本の一冊一冊にはナンバーがうってあり、所有者はこれを確実な場所に保存し、実行の前には本を破り捨てるように。また「21歳または22歳」以下の人はこの本を読むべきではないとも書かれているそうです。
  またロンドンの安楽死協会のガイドブックは『自己解放の手引き』というタイトルになっており、1983年に安楽死をした『ホロン革命』の著書で有名なアーサー・ケストラーの序文がついています。1981年このガイドブックは、約7,000部配布されました。この本の入手条件として、3か月以上の会員であること。25才以上の成人であり、この本のコピーを作ろうとしたり、だれかに読ませないことが上げられています。

 

安楽死の先進国、アメリカ

  イギリスの安楽死運動に刺激されてアメリカに安楽死協会が発足したのが、3年後の1938年です。安楽死は難しい論争点を含む問題ですから、立法化の目的を達成することは大変むずかしいことといえます。しかし1967年、運動は大きな転回点をむかえることになります。

 

リビング・ウイル

 1967年、協会理事会は安楽死教育財団の設置と安楽死宣言「リビング・ウイル」普及運動の展開を決
定しました。「リビング・ウイル」とは、いわゆる自分のための尊厳死申請書で、現在39州(76%)で
「尊厳死法」が成立しているアメリカでは300万人以上の人がこの「リビング・ウイル」に登録しているといわれています。オランダの安楽死協会は会員が2万4千人、「リビング・ウイル」に署名した数は推定10万人にのばっています。日本では日本尊厳死協会(日本安楽死協会改め)の登録者は2520人で、会員の65%は女性といわれています。

日本尊厳死協会
〒113-0033 東京都文京区本郷2-29-1-201
TEL 03-3818-6563  FAX 03-3818-6562

ヨーロッバでの動き

  1976年以降デンマーク、スウェーデン、スイス、ベルギー、イタリア、フランス、スペインでも安楽死協会が次々に設立しました。こうした協会が生れる背景には、高齢化社会と、近代医療制度のあり方にその原因があるといえましょう。

 

オランダでの状況

  オランダで最初に安楽死問題が表面化したのは1973年です。開業医のポストマ博士が、身体がマヒしてほとんど話すこともできず肺炎で苦しんでいた79才の老人に大量のモルヒネを注射して、死亡させ有罪判決を言い渡されました。このとき博士の慈悲行為を支持する住民の声明書に2千人が署名し、その結果博士は有罪ではあったが、執行猶予つきのものでした。この釈放運動の盛り上がりもあってオランダの司法当局はその後、患者自身による意志表示を含む状況の下での安楽死なら、その医師を起訴しないという姿勢を打ち出しています。ニューズ・ウィーク(88年4月7日)によると現在、オランダの病院や一般の開業医の間では、患者の血液に致死物質を注入する積極的安楽死が日常的に行なわれているといいます。

 

教会では反対が続いている

  ヨーロッパのカトリック諸国での安楽死運動は、さしたる効果を上げていません。フランスとスペインの教会は、積極的安楽死に反対の立場をとっています。しかし、1980年にローマ法王庁が発表した「安楽死に関する声明書」にならって、治療できる見込のない患者の医療停止や放棄は認めています。スイスでの事情スイスでは、同情にもとづく安楽死と自殺蟄助は医者の義務とされて、刑法上も殺人とはみなされてはなかった(『安楽死とは何か』186頁)といいます。1975年チューリッヒのヘンメルリ教授が安楽死容疑で逮捕された事件が起きましたが、市民による大規模な釈放運動が展開されたといいます。このとき彼は「末期症状の患者にたいし生命を無理に引き伸ばすことにより、耐え難い苦痛を続けさせる結果になることは、断じて医師の取るべき道ではないと主張し続けているといいます。このスイスでは、患者が死にひんしていて、本人が死を希望した場合、医師は1週間分の麻薬を枕元に置くそうです。このとき患者がそれを一度に飲んでしまえば、死んでしまいますが、そのさい「自殺」ということで、医師には責任が無いことになっているそうです。

 

なせ反対するのか

  安楽死はなぜいけないかという理由の一つに、自殺補助という考え方があります。患者が非常に苦痛を感じ、本人が死を望んでいるときに、これを助けることは「善」とまではいえないにしても、「必要」であるという考え方があります。しかし多くの倫理学者は次のように反論しています。「誰も人の生命を奪う権利はない。医師は同情心から、患者の肉体的苦痛を終らせるという考え方をするが、医師は生死の支配者ではないのである」これはヒポクラテスがすでに2千年前に「苦悩を短縮させるという善良と見える目的と同時に、それ自身が邪悪な殺人を管理している」といっています。

 

自殺の歴史

  ヨーロッパでも古代ギリシャ・ロ−マ時代には安楽死は認められ、また初期のキリスト教の教会でも、ローマ帝国に迫害された時代には自殺を認めていました。しかし5世紀以後、自殺は宗教上の罪となりました。13世紀までには、自殺は犯罪ともなり、トマス・アキナスは自殺を犯罪であるとする3つの理由を上げています。

1. 全ての創造の基礎である生命そのものへの愛に反する。
2. 自殺行為は自殺者が属する社会に対する侮辱である。
3. 生と死のときを定めた神に対する罪である。

  こうした教会の姿勢に基づいて、各国では独自の法律を作りあげてきました。自殺者は絞首台に吊されたり、町中を引き回されたり、侮辱の印として串刺しにされたりしました。
  イギリスでは自殺者は木の杭で心臓を刺し抜かれたうえで埋葬されました。また1013年には自殺者をキリスト教徒として埋葬することを禁じ、彼らの財産の没収を命じました。この土地没収の慣習は1813年まで続いたそうです。したがって欧米においては、自殺や自殺ほう助に対する悪いイメージは、相当根深く残っていると考えられます。

 

解答を迫まられる尊厳死

  欧米に比べ、日本での尊厳死に対する理解はまだまだ深いものといえません。たとえ治る見込がない患者であっても、あるいは痛そうに苦しんでいても、家族は少しでも長く生きてほしいと考えますし、また親類縁者の中で、安楽死に反対するものが一人でもあれば出来ません。
  しかし医学の進歩により、死期を迎えた人の意思を考えずに、延命に多大な予算とエネルギーを注いでいる現在、医師も新しい対応を迫られているといっていいでしょう。末期患者に対しどの時点で延命治療を打ち切ったらよいのか、こうした尊厳死の問題は患者や抱えた家族ばかりでなく、それに直接携わる医師にとっても大きな問題になりつつあります。
  日本医師会のアンケートでは、条件付きを含めて、解答した医師の約76%が「尊厳死として、死を選ぶ患者の権利を認める」と答えています。いまや、この尊厳死は誰もが、避けて通ることのできない問題として、その答えを迫られています。

 

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