1987.12
死の伝道者/キューブラー・ロス

『死ぬ瞬間』までの経過

  1969年、今からおよそ18年前、当時43才だったキューブラー・ロス女史は『死ぬ瞬間』を発表する。この本はノン・フィクションとしてはかつてない売れゆきを示すが、彼女が本当に有名になるのはそのあとである。同年11月21日付けの雑誌『ライフ』に、彼女と死を間近かに控えた患者との記事が取り上げられた時からである。この雑誌はたちまちのうちに売り切れになった。しかしこのなかで取り上げられた病院側の教授や指導医師達は、この記事をみて怒り狂ったのである。   「我々は何年もかかって、この病院がガン治療に優れていることを知らせようと頑張ってきた。それなのにこの女(ロス女史)がやって来て、死んで行く患者で我々を有名にしようとしているのだ!」
  この時以来、彼女は病院中の除け者になり、彼女がやっているセミナーも、大部分が空席になったという。まさに彼女は孤立無援の境地に立たされたわけである。しかし、しばらくして素晴らしい贈物が彼女を待ち構えていた。『ライフ』社に彼女宛の数多くの末期患者からの感謝の手紙が届けられ、その中には医科大学や教会からの講義やセミナーの依頼もあったのである。
  それから2年後の昭和46年、『死ぬ瞬間』が日本語に翻訳された。昭和62年現在までで20万部以上が売れている。この本は、彼女が200人の末期患者と面接し、彼らの心理状態を、直接患者と接している医師の教育の一環としてまとめあげたものである。
   死は5つの心の変化を経ていく。 この本の中で、末期患者であると知らされた患者は、死を受け入れ、死に至るまで、5つの段階を経るといっている。

〈第1段階〉否認と隔離

予期しない衝撃的なニュースをきかされたとき、そのショックをまともに受けないために、まず否認がおこる。

〈第2段階〉怒り

死という現実を認めざるえなくなると、次に怒りや恨みがこれに取って代わるようになる。「なぜ俺だけこんな目に会わなくてはならないのだ!」
この怒りが八つ当りとなって看護婦に向けられ、そのためまわりの人間はよけいに患者を避けるようになる。

〈第3段階〉取引

次に人は神や仏に対して、自分がどうしたら延命できるか取引し始める。例えば「もう財産はいりませんから命だけを与えてください」云々。

〈第4段階〉抑うつ

以上の段階をへて、それらが無駄であることを知って患者はうつ状態におちいる。病気が進行し、衰弱が進んで、無力感が深刻となる。それとともに、この世との別れを覚悟するために、他人から癒されることのない絶対的な悲しみを経験しなければならない。

〈第5段階〉受容

次は患者は、来たるべき自分の終えんを静かに見詰めることのできる受容の段階に入る。「長い旅の前の最後の休息」のときが来たかのようである。このときの静かな境地をデカセクシス」と呼ぶ。

 

  以上がロス女史が提案した「死への心理の5段階」である。すべての人が、この5段階をたどって、死を迎えるわけではない。ある段階にとどまってしまう人。ある段階を飛び越える人。錯綜する人も多い。しかし一般に死が近づくと、無意識に死を悟るものだといわれている。人は死を成長の機会とし、静かに尊厳なる死を迎えるための心構えが必要である。このようにロス女史は希望している。
  「尊厳なる死とは、その人らしく死ぬということであり、我々回りの人間の鋳型にはめこまないことである」。
彼女が『死ぬ瞬間』でインタビューした200人あまりの人は「平和と尊厳」のうちに死んだという。

 

死の講演に世界を駆ける

  ロス女史は1926年スイス生れ、チューリッヒ大学で医学を学び、そこで知りあった主人とともにアメリカに渡った。『死の瞬間』の発表以来、彼女は数多くの講演をし、そのなかで科学では表現できない神秘的な内容を語っていくにつれ多くの同僚を失った。しかし彼女に対する講演依頼は世界中から絶えることがない。毎年、年間24万キロ以上も旅行し、一週間平均10万5千人の人たちに講演をし、月平均3,000通の手紙を処理するのである。そして1977年11月、カリフォルニアに末期患者のためのワークショップ施設であるシャンティ・ニラヤ(平和の家)を作りあげたのである。

 

平和の家でのワークショップ

  ワークショップに参加する多くは、差し迫った自分の死に対処するために来るわけではない。もちろんそうした人も多いという。しかしそれよりも家族の死を看取り、後に残った心の傷をここで癒しに来るのである。残された家族が、精神的に社会復帰するのには、死に行く者が死を受け入れるのと同じような5段階のプロセスをたどるとロスはいっている。つまり、否認、怒り、抑うつ、取引、受容である。自分の二人の息子を病気で亡くしたある参加者は語っている。「ワークショップの間、私は地獄を体験しました。自分で自分を追い詰め、そして出口が見つからずもがいているようなものでした。ところがある時点から、そのなかで最後まで見極めなければならないと思うようになったのです。そして気がつくとすべては終っていました。…私は自分の人生や痛みが、我々全員のなかにある共通の苦痛の反映であることを理解したのです。」

『生命を尽くして』より

 

幼児は自分の死を知っている

  一昨年、京都で第9回トランスパーソナル国際学会が開かれ、そこでロス女史は「死・成長の最終ステージ」という講演をしている。このなかで彼女は、子供の死について語っている。
「子供が大人になる前に死んでしまうと、例えば、3歳で白血病にかかり、9歳で死ぬと、そこで与えられる贈物は、長い目で見ると失ったものよりもずっと貴重なものです。…幼くしてなくなる子供は、早い時期に直感的、霊的次元が発達します。ですから、死につつある子供はみんな、自分が死に向っていることを知っているだけではなく、あなたにそのことを伝えようとします」
   ロス女史は、ワークショップのなかでも、本人も知らない人間の隠された心理を、その場で明らかにさせるために、単純な絵を描かせる方法を取っている。ユング派の分析家、スーザン・バックが開発した技法で、画面の左上の4半分の、末来と死を表す場所に、はっきりそれを象徴的に描くという。
  死のシンボルは「蝶々」によって表される。あるいは魂が、蝶々のようにはばたいて飛んでいくということを表わしている。これはロス女史が、ナチの収容所でなくなった子供たちのいた板壁に、蝶々の絵が至るところに描き残されていたことを見たときからの、長いテーマだったのである。

 

臨死体験の謎

  臨死体験をすると、魂は肉体を抜け出て、トンネルのなかに吸い込まれ、その向うに大きな光を見るとい う、数多くの記録が残されている。ロス女史も、患者の口から、直にこうした体験を何度も聞き、またこうした体験が、臨死患者に大きな精神の変化をもたらしているのを眼の当りにしてきたのである。
  彼女の死後のプロセスの研究によると、第1段階は、精神が肉体から離れ、浮遊していく段階。自分が寝ている姿を上ら見ることができ、他人の気持やどうしてこの世にとどまれないかを理解出来るようになるという。
  第2段階では、夢のなかに居るようで、人はどんなに離れているところでも、一瞬にして行くことができるという。アメリカで死んでも、東京の両親のことを考えると、その瞬間に東京に飛んで行ける。そしてこの再
会のあとに、人間ではコントロールできない領域に入って行く。
  第3段階は何かむこうからの移行を意味する光を見るという。それは操作できない霊的なエネルギーで、この光を見たものは至福の境地を味わうという。
  第4段階は生との繁りが失われ、愛や慈悲の気持に包まれてしまうという。ここで初めて人間が一人一人完全のまま、必要な知識を備えて生れてくることを認識する。自分の人生とは、生きている間の各瞬間に、自分が下してきた一つ一つの選択の総和であることが、ここで気づくのである。
  現在ロス女史は、エイズ患者のためのワークショップを開いている。またエイズにかかっている3歳迄の子供たちの施設を始めたいとのべている。

(月明)

 

※彼女の講演「死・成長の最終ステージ」は、『宇宙意識の接近』(春秋社)のなかに収録されています。

 

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