1988.01
チベットの死者の書

土俗の宗教から密教へ

世界にもなだたる高山に取り囲まれ、荒涼とした辺境の地、チベットに仏教による高 度な精神文化が開花したのは一つの奇跡である。チベット人にとっては、温和な気候に住む日本人の様に人と自然との一体感という生やさしい発想はない。自然は死をもたら すものであって、人間が力を合わせて対決すべきものであった。そのため、体力、力、勇気、意志が尊重され、死の問題にも目をそむける事なく直面して行った。

仏教を受容する以前のチベットには、シャーマニズム的な宗教であるボン教が存在していた。ボン教師は精霊を支配する司祭であり、邪霊をはらって病気を直す医者であり、厳しい風土を生きぬく道を示す予言者であった。

仏教の理論によると、人間は「死」、「中有」、「生」と輪廻を繰り返して行く。チベット仏教ではこの三事を清めて、仏の三身にまで高めて行く行法、「中有」において、輪廻を断ち切り、クリアライトヘの融化をはかる行法がある。一般のチベット人がどの様に死を向かえるか見て行きたい。

チベット死者の書

チベットでは宗派を問わず、一般に「死者の書」と言う教典を臨終を向かえた人の枕元でラマ僧が読む習慣がある。死者がこの世に執着しないように、肉親、親類は遠ざけられる。その教典には死者が死後に出会う光景とその対処法が書かれている。死者はまず非常な畏怖を覚えるまばゆい光に出会う。しかし、これに勇気を持って飛び込めば、真理に融化し、成仏する。そうでないと7日後にまた別の光に直面して、同じ様な状況にたたされる。このようなことが7日毎に、49日まで繰り返される。光への融化がなければ、その後、死者の生前の行為、心に応じて地獄、畜生、人間等、6つの世界のいずれかに生きているものの胎に入って行く。人間は畜生、すなわち犬、猫、牛などの動物に生まれ変わることもある。チベットには黄泉の国で、子孫の幸福、繁栄を願って働きかける祖先、それに対する祖先崇拝と言うものはない。祖先たちも現在輪廻して、人間、犬、猫、地獄、天国で苦楽を味わいつつ生きているのである。

鳥葬が生きている土地

死体は単なる魂の抜け殻として、粗末に扱われる。死体は夜明け前に、死体運搬人に引き渡され、身寄りの者が付き添うこともなく岩窟まで運ばれて行く。そこで、死体は切断され、禿鷹に投げ与えられ、その餌となる。この葬法を鳥葬(チャトル)という。骨も砕いて粘土に混ぜて焼き、仏像を作ることもある。死体を跡形もなくしてしまうのは、死者が自分の死体に執着するのを断ち切るためだと言う。もちろんチベットでは岩石が多く、凍結期間も長いので、墓穴を掘るのが困難で土葬にしがたく、また樹木に乏しいため、死体を火葬にするほどの十分の燃料がないという実際上の理由もあるという。

また、死者に対して、ポワの行を行うこともある。人間には九つの門があり、死後いずれかの門から魂が出ると言われている。その出口によって次に輪廻する6つの世界が決定されるのである。臨終の時、ラマ僧が死者に対して行う「死者のポワ」に助けられながら、頭頂から意識を阿弥陀の浄土に向かって飛び出させるのである。これがチベットの極楽往生のやり方である。同じ仏教でありながら民族によってずいぶん変わったものになってしまうものである。〈吉野〉

 

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